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 日向の影は、自分の背丈もある矛を軽々と振り回し、切っ先を下に向け構えた。真正面から見れば竦みそうに鋭い睨みを対峙する相手に向ける。
 それに比べ陽介の影は対照的だ。真っ向から敵意剥き出しに睨まれても、飄々しさは変わらない。それどころか苦無を軽く放りながら弄ぶさまは、まるで遊んでいるようだ。
 日向の影が最初に仕掛けた。目標目掛け突進し袈裟斬りを放つ。陽介の影は後ろへ軽く跳躍しそれをかわした。しかしかわされるのを見越したようにすかさず矛の刃が向きを返し、今度は下から斬りつけられた。
 陽介の影が今度は前に飛ぶ。振り上げられる刀身の上に乗り高く跳び上がる。空中で半回転しながら手首の力をきかせるように右手の苦無を投げた。
 日向の影が振り返る。飛んでくる苦無を矛で弾き飛ばした。
『――消えろっ!』
 裂帛の気合いと共に、日向の影が右手を陽介の影に向けて翳した。
『そう簡単にやられるかっ!』
 陽介の影が天に向かって手を伸ばす。掌から生み出された疾風の反動で素早く地に降り立つ。体勢を整えながら床に落ちた苦無を拾い上げた。遅れて陽介の影がいたところに雷が落ちる。雷光で視界を白く染め上げた僅かな瞬間、金属がぶつかり合う音がした。
 距離を詰めた陽介の影が、両手の苦無を同時に振り下ろした。日向の影は刀身の腹で受け止める。
 体格差は日向の影と比べ、陽介の影のほうが有利だ。上から全体重を乗せ日向の影を潰そうとしている。
『こ、のぉ……!』
 不意に日向の影が膝を曲げた。体重をかけていた陽介の影はいきなりなくなった抵抗にバランスを崩す。
 日向の影はそのまま腰を落としてしゃがみ込む。そして、前のめりになりお留守になった陽介の影の足元へ水面蹴りをくらわせた。
『っ!』
 足元を掬われ陽介の影は床に転がる。立ち上がった日向の影が矛を刃を下にして持ちかえた。そして仰向けになった陽介の影向けて突き立てていく。
『――くっ!』
 一方的な攻撃に陽介の影は舌打ちして転がり避けた。床に手を突いて素早く起き上がり、追撃を出せないよう日向の影と距離を取る。
「……」
 シャドウは人間の抑圧された精神が制御を離れて現れた存在。本能のまま動き、力を加減したりしない。そのせいか影同士の戦いは、力がぶつかり合うと言う表現が一番しっくりする。
 一瞬の攻防に息を詰めていた陽介は、戻ってきた自分の影の姿にはっと我に返った。呆然と見ている場合ではない。
「助けに来たのに喧嘩売ってどうすんだよ!」
 日向を守るように戦闘から背を向けていた陽介が、影を振り返り罵った。どんどん物騒な方向に状況へ転がっている。
『どっちにしろこうなってただろ』
 影は視線は日向の影に固定しつつ、涼しい顔をして応える。
『それに俺が来た時には十分怒ってたじゃん。テメエの度重なる失言で』
「とどめ刺したのはお前だろ!」
 陽介はむっとして言い返した。確かに言うこと為すことすべて、日向の感情を悪い方向に煽ってしまっていた。しかしこんな展開に陥ったのは、間違いなく影が言い放った一言が原因だ。
 お前も自分の理屈を他人に押し付けている。
 その一言は日向の影の逆鱗に触れ、完璧頭に血が上っている。
「どうするんだよ。お前勝てるんだろうな?」
『さぁな』
 曖昧な応えに「はぁ!?」と陽介は顔を顰めた。あんなに自信満々で喧嘩を売ったくせに。
『元々日向はペルソナを複数扱える時点で規格外なんだよ。一つしか制御出来ない他とは違ってな』
「じゃあなんで……」
 勝てる見込が低いと影は承知している。していて何故無謀な手に出たんだ。呆然と呟く陽介に、影が肩越しに振り返りふてぶてしく笑った。
『言っただろ。俺はこんな時を待っていたって。そのためにテメエの中でずっと大人しくしてたんだ』
 日向の影の方へ視線を戻し、陽介の影は腕を交差させ苦無を構えた。
『だから俺はしたいことをさせてもらう!』
 腕を大きく振り広げ、陽介の影は烈風を起こした。陽介は日向が巻き込まれないよう、覆い被さるように身体を抱き締める。
 真空を孕む烈風は、矛を床に突き刺し飛ばされないよう足で踏ん張る日向の影の腕や頬に裂傷が走らせる。精神の一部だから傷ついても血は流れない。そう理解していても、陽介は見ていて胸が締め付けられた。
 影が風に紛れ日向の影との距離を一気に詰めた。近づく足音に日向の影が床に刺した矛を引き抜いた。
 二つの影は互いに相手を見据える。
 刃が激しくぶつかりあった。
 ぎぃん、と金属音を立てながら鍔ぜり合いを繰り広げていく。互いに譲らない目をしていた。
『いい加減しつこいんだよ』
 怒りで声を震わせ日向の影が陽介の影を睨んだ。
『お前は勝てないってわかってるんだろ。だったら大人しく帰れ』
『やなこった』
 陽介の影は思い切り舌を出し一蹴する。
『だってお前を死なせるわけにはいかねーし』
『人の言うこと聞けよ! お前も自分の理屈を押し付けるのか!』
『……そうかもな』
 自嘲気味に陽介の影は口の端を上げる。
『俺はお前を死なせたくない。死にたがっている方からすれば押し付けだよな。でもこっちは曲げるつもりなんてねえぜ』
『……だったら起き上がれなくなるまでぶっつぶしてやるよ!』
 日向の影が刃を思い切り前へ押し出した。身体がよろめき一歩後退する陽介の影を、すかさず日向の影が追いかける。一歩前に進む毎に打ち付けられていく重い一撃。避けられきれない刃が、陽介の影を傷つける。
 それでも陽介の影は悲壮感の欠片もない。諦めていない。
「……なんで」
 戦う様子を見て、陽介は疑問を感じた。何が影をそこまで駆り立てるのだろう。勝てるのかもわからないのに、日向の影に立ち向かって。自分の一部のことなのに陽介には理由が思いつかない。
『いいや。お前だって知ってるはずだ』
 日向の影と剣戟の音を響かせながら、本体の心を読んだように陽介の影は言った。
『俺が見せた、俺とアイツが戦った時のこと』
「……」
『あの時お前は“俺”を拒絶した。俺だってお前の一部なのに認めたくないからってな』
 都会から田舎への突然の引っ越し。特異な立場故の疎む視線。何もかも欝陶しかった。何か刺激的なことが欲しい。そう思って起こった殺人事件を追う非日常に胸を躍らせて。
 そして自分は特別だと思い込んだ。
 隠していた暗い心の一部。それを突き付けられた陽介本人は影を拒絶したけれど。
『でも日向は認めてくれたんだよ。お前よりも先に“俺”を。あの時の言葉は間違いなく“俺”に言ってくれたものだった』

 ――悲しかった?

 息も絶え絶えになりながら、日向は自分を殺そうとしている影に手を伸ばしてくれた。その時感じた温もりだけで、それだけでもう充分だと思えた。存在出来た理由を持てた。
『嬉しかったんだよ“俺”は。ずっと抑圧されていた部分を、初めて認めてくれたのは日向だったんだ。だからまだ本体に受け入れられずまだ“俺”が残ってた時決めたんだ』
 陽介の影は本体の腕の中にいる日向を肩ごしに見た。
 優しく、笑う。
『――いつか自分が受け入れられて消えるその瞬間まで、俺を初めて認めてくれた日向のために力を振るおうって』
 日向の影に視線を戻した陽介の影は、真っ向からその目を見て言った。
『お前だってそうじゃないのかよ。大切なこと教えてくれた人間守りたいって。押し付けになったって生きててほしいから』
『……あ』
 負の感情ばかりぎらつかせていた日向の影が、初めてうろたえた。投げ掛けられた問いに答えはあるのに言い出せない。言ったら何かに負けてしまうと言いたそうな、そんな顔をしている。
 かたかたと迷いを映すように矛が震えた。
『……ま、その瞬間ももうすぐ来そうだけどな』
 小さく呟いた陽介の影が半身を捻るように本体を振り向く。その身体の輪郭がぼやけて青白い光を滲ませていて、陽介は目を見張った。
「お前それ……」
『さぁ問題だ』
 場を弁えない軽い口調で陽介の影は言った。
『最初俺を受け入れようとしてたときに日向のことをどう思っていた?』
「……え?」
『それに反発するものはなんだ?』
 陽介の影の口許がにっと上がった。
『考えろ。そして出た答えが俺を作ったものの、そしてお前をここまで連れてきたものの正体だ』
「俺をここまで連れてきた……?」
 陽介は抱きしめていた日向を見下ろした。
 きん、と後ろで固い音が聞こえる。日向の影が陽介の影の言葉を否定するように矛を振るう。闇雲な剣筋は乱れさっきまでの獰猛さが嘘のようになりを潜めている。
「橿宮……」
 日向と出会って色んなことがあった。
 傷ついたし傷つけた。どうしようもない自分を受け入れてくれて嬉しかった。拒絶されて胸が張り裂けそうになった。
 伝わってほしいのに伝わらなくて。
「……でもだからって諦めたり逃げたりしたら駄目なんだ」
 もう逃げないと決めた。
 自分の言動が誰かを傷つける可能性があることから。きっとそれは生きている限りずっと付き纏う。だけどどうしてそうなったのか考え行動することも出来る。生きている限り。
「だから俺は――」


『――このぉっ!』
 日向の影が陽介の影に矛を突き立てる。心臓を貫く軌跡を描く切っ先は、しかし影の身体を擦り抜けた。陽介の影の身体が薄く透けて向こう側の景色が見える。
 息を飲んだ日向の影に自分の身に起きたことを察し、陽介の影は透明になりゆく掌を翳して、笑った。
『ああやっと受け入れる気になったのか』
 苦無二本を左手に持ち直し、右手で日向の影の頭を優しく叩いた。
『安心していい』
『……?』
『お前はもう大丈夫だ』
 そう言い切って笑い陽介の影は消えた。青白い光が陽介と同化するように染み込んでいく。
「橿宮、もう帰ろう」
 床に日向を寝かせ、立ち上がった陽介が残った日向の影に向き直った。
「みんなが――菜々子ちゃんがお前を待ってる」
『嘘だ。だって菜々子は……』
 ぐずるように日向の影は首を振る。何かを恐れるように後退り矛を構えて拒絶の意を示した。陽介の言葉の影にあるものを朧げに見抜いたんだろう。しかし現実に触れることが怖くて怯えているように見えた。
 陽介は影に一歩近づく。しかしその分影は逃げる。
「橿宮」
『来るな……。来るなって言ってるだろ!』
 叫び日向の影は右手を陽介に突き出した。ばちりと掌の中で小さな雷光が音を立てる。
 陽介は左手を伸ばした。虚空から青白い光を纏ったカードが一枚現れる。
 影をすべて受け入れたせいか、自分の中に宿っているものの変化を陽介は感じる。今までなかった、もっと強い力が奔流となって渦巻いていた。
 頭に浮かぶのは、荒くも猛々しい風の神の名。
 ――さぁ、俺の名を告げろ。
 内側から聞こえる声に背を押され、陽介は高らかにその名前を呼んだ。

「来いっ――――スサノオ!!」

 カードを手で握り潰した陽介の頭上から、赤く猛る神が舞い降りた。付け根を合わせた二つの掌を広げ、腕を日向の影に突き出す。掌の中心から光が弾け、その足元から猛烈な風が吹き荒れた。
 一瞬で日向の影が風に飲まれ、姿が見えなくなる。
「橿宮!」
 陽介は吹き荒れる風に向かって走り出した。その中に飛び込み、飛ばされそうになっている日向の影を見つける。
 陽介は手を伸ばし、影の腕を掴んで引き寄せた。今の陽介に風の影響は受けない。スサノオが守ってくれるから。
 日向の影を抱きしめると同時に風が止まった。陽介は腕の中の感触に安心する。ようやく捕まえた。
『……離せ!』
 日向の影が陽介から逃れようともがく。陽介はじたばたと暴れる背中に腕を回し、そっと頭を胸元に押し付けた。
『離せって言って……!』
「……お前も悲しかったんだな」
 耳元で呟かれ、影の肩がびくりと震える。
「俺と同じで誰かに自分を認めてほしくて、でも認めてもらえなくて。だから辛くて――悲しかったんだな。でもさ、もうそんな思いはもうさせないし、一人もさせない」
 抱きしめる力を強くする。見上げる日向の影の目を見て陽介ははっきりと言った。
「――菜々子ちゃんは生きてる。今も頑張って生きようとしてるんだ。だからお前はちゃんと側にいなきゃ駄目だ。――お兄ちゃんだろう?」
『……』
「堂島さんもアイツらも待ってっから。なっ?」
 歯を見せて笑う陽介を見上げた影の目が不安そうに揺れた。ゆっくり上がった手が陽介の脇腹辺りでさ迷う。
『……お前は?』
 恐れながらも日向の影は尋ねた。
『陽介もいてくれる? こんな“おれ”が居ても?』
 醜い自分をさらけ出し罵倒して、嫌われたんじゃないか。震える声に、それでも陽介は「バーカ」と笑った。
「お前だって橿宮じゃん。今更当たり前のことを聞くなって」
『――』
 あっさり返された答えに、影は丸くした目を瞬かせた。不意にその瞳が潤む。
 日向の影はしがみつくように陽介を抱きしめ返した。胸元に顔を埋め、泣きそうな顔を隠す。
「一緒に帰ろう?」
 優しい問い掛けに、こくりと日向の影の頭が頷いた。ゆっくりとその身体が消えていく。陽介の影がそうだったように。
『……頼みがある』
 俯いたまま日向の影が言った。
『さっきおれに言った言葉をもう一人の俺にも言ってほしい。おれが戻ったらおれの記憶もアイツと一緒になるけど。アイツの前でもちゃんともう一回……』
「ああ」
 陽介は頷いた。
「絶対言う。必ずだ。もう何か言うことを怖がったりしないから」
『……うん』
 日向の影は陽介を見上げる。
『――ありがとう』
 そう言って日向の影は消えた。
 その寸前に見せてくれたのは笑顔で、間に合ったんだな、と陽介の心を暖かく満たす。
 後ろから自分を呼ぶ声がする。
 陽介は腕の中に残った感触を噛み締めるように拳を作りながら、自分を待つ人の元へ踵を返した。

 日向に拒絶され、ぐじぐじと考え込んでいたことを思い返す。
 助けてもらう価値だとか、自分がどんな存在だとか。今はそんなのどうだっていいと思えた。別に急いで答えを出す必要なんてない。これから考えていけばいい。
 日向が生きている。自分を待っている。
 今はそれだけで、十分だった。


09/02/25

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