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 学校の教室。
 毎日顔を合わせているクラスメート。
 知ってる場所。知ってる人たち。
 今日あるテストを嘆いて。テレビやマンガの話を楽しそうにしていて。放課後どこかで遊ぶ約束をしていたり。
 クラスの人たちが友達と話しているのを、あたしはいつも遠巻きに見つめた。
 こんな時、おなかがちくちくと痛む。いいようのない不安定な気持ちに、知らず歯をかみしめる。
 誰もあたしを見たりしない。
 例えるなら、知らないところで置いてきぼりにされて、迷子になっている感じだろうか。訳もなく逃げ出したくなる。
 それは、小さい頃からあたしは味わってきた、イヤなモノ。
 ずっと、ぱっとしない子だった。
 目立たなくて、引っ込み思案で、話すのも苦手。
 だからクラスの皆と馴染めず、いつも一人浮いていた。

 一人はいや。
 寂しいのもいや。
 誰か――あたしを見て。

 寂しさをいつも抱えていたあたしは、勝手にオーディションに応募されたと知った時、チャンスだと思った。今までのあたしから変わるためのものなんだって。
 オーディションに受かったあたしは芸能界に飛び込み、必死になった。
『りせちー』のキャラを作り、演じた。
『りせちー』は誰にでも愛されるアイドル。明るくてかわいくて、いつでも笑顔。
 そう、あたしは『りせちー』なんだ。


 アイドルになってから、学校でクラスの皆が話しかけてくれるようになった。輪に入れるようになって、一人でいることがなくなった。
 あたしは、寂しくなくなったのに。

 ――どうしてこんなに疲れてるんだろう。



 バスを降りたあたしは、目深に帽子を被り直した。辺りを見回し、怪しい人影がないことを確かめて坂を登る。
 時折人と通りすがるとき、顔が見られないよう俯いた。ばれないよう変装しているけど、それでもやっぱり緊張する。ここで見つかったら、また一人になれる場所が減っちゃう。
 行きたかった場所は子供がたくさんいた。そう言えばおばあちゃんが言っていた、ここではたまに学童保育があるんだって。
 子供は鋭いところがあるから、バレてしまう可能性も高い。あたしは背中を向けて、少し戻った。確か下にもここと同じような広場があったはずだ。
 そうしてたどり着いたのは最初の目的地より少しこじんまりした広場だった。街が見下ろせる場所に設置されたベンチに座り、ようやく身体の力を抜く。ずっと誰かに見つかるんじゃないかって気持ちが、自然とあたしを緊張させていた。
 取ったサングラスを膝の上に乗せ、憂鬱なため息を吐いてしまう。一人でいるだけでもこんなに気を使うなんて、ゆっくりするつもりだったのに、どっと疲れた。
 だけど自分の部屋だって気が抜けない。
 窓から見える電信柱の陰。家と家の隙間。こちらの動きを探ろうと記者がシャッターチャンスを狙ってる。
 都会からわざわざこんな田舎までご苦労なことだ。
 今頃誰もいない部屋を伺っているのかと思うと、少しだけざまあみろ、と意地悪な笑みを浮かべてしまった。
 ……おばあちゃんには悪いと思っているけど。
 大好きなおばあちゃんを思い出して、あたしの胸がちくりと痛んだ。
 おばあちゃんは優しい。唐突に芸能活動を休止して、家に転がり込んできたあたしを受け入れて、こうして勝手に家を出たりしても怒らないでくれる。きっと今日も戻ってきたら、温かい夕食を用意して「おかえり、りせ」って迎えてくれるんだろう。
 あたしはおばあちゃんの優しさに甘えてる、ダメな女の子だ。
「……でも、このままじゃ、だめ……だよね」
 あたしは俯きがちになって呟いた。このまま甘え続けていても、どうにもならない。それはあたしが一番知っている。
 どうにかしなきゃ。でも体が動かない。思考が停止する。
 あたしは歯がゆさに唇をかみしめる。
 どこにいってもりせちーりせちーりせちー。
 みんなはあたしが『りせちー』だってことを望んでいる。だからあたしも『りせちー』でありたいって望んだ。
 だけどりせちーというアイドルとして振る舞ううちに、自分勝手なあたしは『りせちー』であることに疲れてしまった。
 サングラスを持つ手が震える。誰かに見つかるんじゃないかって思うと、顔を上げて景色を見る余裕もなかった。
 ――どうしよう。
 あたし、これからどうしたらいいの。

 途方もない考えに悩むあたしの後ろで、突然何かが落ちる音がした。土を擦る音に驚いた拍子に持っていたサングラスを落としてしまう。
「……っ!?」
 驚いて振り向くと、サッカーボールが地面に小さく弾んで、転がっている。同時に上の方から「あー、ボールが飛んでったー!」と騒ぐ子供の声がここまで聞こえてくる。
 どうやらさっき見かけた学童保育の子が遊んでいたボールが、何かの弾みでここまで飛ばされたんだろう。そんなに遠い距離ではないからあり得ない話じゃない。
「センセー、とってきてよー」
「ボール取ってきてよセンセイ!」
 遠く、でも確かに聞こえた声にあたしはうろたえた。このままだとボールを取りに来た人に見つかってしまう。
 もしあたしが『りせちー』だってバレたら、あっと言う間に大騒ぎだ。記者も聞きつけて、あたしの居場所がまた一つ減ってしまう。
 帰らなきゃ。それかどっかに隠れないと。
 あたしは立ち上がった。まずはここから移動しなきゃ。
 急ぎ、地面に落ちたサングラスを拾おうと腰を屈めた。すぐにかけて場所を移動しようと顔を上げた時、広場の入り口に人影を見つける。
 ――うそ。
 さっきのやりとりからほんの一分も経っていないのに。
 あたしはその足の速さにびっくりする。
 やってきたのはあたしと同い年ぐらいの男の子だった。遠目だから、すらりとした体格にエプロンをつけているぐらいしかわからない。
 その子は転がっていたボールを拾い、あたしを見た。
 まっすぐで鋭い視線に、思わずどきりとする。
 男の子はあたしと目を合わせたまま動かなかったけど、不意にこちらへ近づいてきた。土を踏みしめる足音がちょっとずつ大きくなる。
 もしかして、バレちゃったのかな。でもここで逃げたら、よけいに怪しいし。だけど話しかけられても、困る。
 対処方法に悩んでいるうちに、男の子はあっさりあたしの前で止まった。
「……もしかして」
 やっぱりバレた!?
 あたしはとっさに俯き身構えた。だけど男の子の口から飛び出した言葉は思ってもいなかったものだった。
「ボール、ぶつかった?」
「……え」
「しゃがみ込んでるし、顔色が悪い」
 拍子抜けする。帽子は被っているけど、サングラスはかけていない。ばっちり顔が見えてる状態で、人によってはすぐわかる格好だ。もしかして、この子はテレビとかあんまり見ない子なのかな。
 僅かにほっとして「ううん、ぶつかってないよ」とあたしは立ち上がった。
「そう、よかった」
 男の子もほっとしたようだった。鋭いと思っていた視線が柔らかくなって、それだけでも印象がずいぶん変わる。
「でもちょっと驚いちゃった。いきなりボールが落ちてくるんだもん」
「それは……ごめん。なるべく注意して落とさないようにする」
「うん、お願いね」
 おばあちゃん以外の人と普通にしゃべるのっていつぶりだろう。久しぶりの感覚に自分でもびっくりする。相手が知らない人だって言うのも手伝って、かなり気楽だった。
 それにどうしてだろう。この人からは全くイヤな感じがしない。それどころか親近感がわく。
 ……もうちょっと、話してみたいな。
 そう思ったけれど、簡単にはいかなかった。上の方から「センセー、まだぁー!?」と急かす子供の声がする。
 男の子は笑って『やれやれ』と言わんばかりに肩を竦めた。そしてサッカーボールを小脇に抱えた。そして無造作にあたしに手を伸ばして、
「……っ!」
 帽子越しに頭を一撫でする。いきなりすぎて、あたしは頭をかばう暇もなく、呆然とそれを受け入れた。
「――それじゃあ」
 息を飲んで頭に手をやるあたしを余所に、男の子はあっさりとボールを両手で持ち直し、行ってしまった。足が速いから、あっと言う間に姿が見えなくなってしまう。
 びっくりしすぎちゃったあたしは、へなへなとその場に座り込む。ベンチに顔をうつ伏せて、心臓のあたりで手のひらをぎゅっと握りしめた。
 ばくばくと心臓がうるさいし、顔も熱い。さっきまでは見つからないようにうつむいていたけど、今は真っ赤になった顔を見られたくない一心で顔を伏せた。
「……ヘンな奴」
 ぼそりと呟く。
『りせちー』を見ても平然として、それどころかいきなりあたしの頭を撫でちゃって。
『りせちー』じゃなくても、普通女の子に突然する事じゃないだろう。だけどあたしはそれがイヤじゃないことに気づいてしまった。
 男の子が戻ってきたんだろう。子供たちのはしゃぐ声がこっちにまで届いた。
 ――名前、聞いておけばよかったかな。
 あたしはほんのちょっぴり後悔した。
 だけどまさか、この後、その子と妙な繋がりができるなんて、思ってもいなかったけど。



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