嬉しいと言って君は、 Kirisaki side
「――小暮君」
まずそうに煙草を吸いながら、霧崎は本が積み重なった机を挟んで立つ小暮を見上げた。
「何でありましょうか」
小暮は、僅かに霧崎の方へと身体の向きを変える。
霧崎は、じいっと小暮の顔を見つめ、突然尋ねた。
「君から見て、純也はどうだ?」
「――――は?」
質問の意味をはかりかね、小暮は思わず首を傾げて間の抜けた声を漏らす。今日始めて顔を合わせる人間に対して、幾分段階を飛ばしたような問いかけに、面喰らった。
小暮が須未乃大学を訪れるのは、今日が初めてだ。初めての現場に、初めての捜査。そして初めて一緒に組むことになったのは、まだ自分より年若いキャリア組の警部補。
初めて尽くしの中、事件は常識を遥かに凌駕したような――殺人や強盗なども十分逸脱しているだろうが――怪異に彩られていた。不可解な状態で見つかる女子高生の遺体。そのどれもが自殺だと言われている。
捜査するにも、周りは小暮たちの意見をまともに取り合おうとはしなかった。それでも、地道に手がかりを探し、情報を集め、そして今はさらなる進展の為に、純也の義理の兄である霧崎の元を訪れている。
純也は席を外していた。研究室のコーヒーメーカーが壊れていたので、自ら飲み物を買ってくると部屋を出ていってしまっている。
初対面の人間と二人きり。緊張する中、突然掛けられた問いに「ええと」と小暮は顎を手で擦りながら、霧崎を凝視する。
「それは……一体どう言うことでありますでしょうか?」
「いやなに、難しく考える必要はない」
相変わらずまずそうに煙草を吸い、霧崎はふうと細長く紫煙を吐き出す。長くなってきた灰を灰皿に落とし、再び煙草をくわえた。
「俺はなかなか純也の仕事ぶりを見ることが叶わなくてね。どんな風か、教えてほしいんだ」
「ですが、自分も先輩と組んでまだ日が浅いのでありますが……。それに御自分で直にお聞きになられた方がよろしいのでは?」
正直に疑問を口にすると、霧崎が煙草の火を灰皿でもみ消しながら、苦笑した。
「純也に聞いたとしても、あいつが素直に答えてくれるとは思わない」
なるほど。純也の場合、聞いてもきっと謙遜してしまいそうだろう。小暮は納得する。
ならば、と小暮は軽く咳払いをひとつして、純也に対して思っていることをそのまま口にした。
「先輩は素晴らしい方であります」
「ほう」と霧崎の目が細くなる。
「それは、どうしてかな?」
「はい。キャリア組であるにも拘らず、偉ぶる訳でもなく、下の立場である自分の意見をも分け隔てなく聞いてくれるであります。それから、先程も同じようなことを言いましたが、自分と先輩は組んでからまだ日が浅いであります。ですが、それでも先輩が自分を信頼してくれることこそが――何よりも嬉しいであります」
「………………」
霧崎は黙って聞いている。先ほど純也がコックリさんの話をしている時のような、真剣な顔をしていた。
小暮は言葉をどう続けようか考えながら、話を続ける。
「ええと、それから。やはり霧崎先生を頼りにされているのだな、とも思ったでありますな」
「…………俺を?」
「そうであります。ここに来る前に式部先生に会ったのでありますが……。そこで霧崎先生の名前が出た途端、先輩はそれはもう心強い味方を得たような顔になっていたでありますから」
「…………そうか」
それまで静かに聞いていた霧崎が、笑った。仏頂面と人を食ったような偏屈さが和らいで、兄らしい柔らかな眼をしている。
出会ってから、何処か油断出来ない男だと、小暮は警戒していたが、その表情を見て考えを改めた。義弟に対して、優しい表情をする心を、霧崎は持っている。情に厚い小暮が、ほだされるには、十分な威力を持っていた。
「そこまで言ってくれるとはな。純也も良いやつに巡り合えたもんだ」
「いえ、こちらこそ先輩と組ませていただき光栄の至りであります!」
びしりと小暮は敬礼する。
「俺が組ませた訳じゃないぞ」と霧崎が苦笑し、新たに煙草を一本、パッケージから取り出した。
「それは、純也に直接言ってやってくれ。あいつもあいつなりに今まで苦労しているから。きっと喜ぶ」
「霧崎先生も嬉しそうであります」
「そうだな」
霧崎は鷹揚に頷き、煙草に火をつけた。
「血は繋がっていないが、純也は俺の自慢の弟だ。俺からしてみれば、純也が誰かに認められるのが、一番嬉しい」
そして、まずそうに煙草を吸う。だが、言葉の端々から兄らしい優しさを垣間見て、どれだけ純也を誇りに思っているのか、小暮はよく分かった。
――先輩は、いいお兄さんに巡り合えたであります。
小暮は口元を挙げてひっそり笑う。そして、こちらへ近づいてくる、買ってきた缶コーヒーで両手が塞がっているだろう足音の主の為に、扉の方へと向かった。