嬉しいと言って君は、 Jyunya side
短い沈黙の後、持っていたカフェオレのカップをソーサーに戻して、純也が不意に口を開いた。
「ねぇ、ゆうかさん」
ゆうかは目を丸くして、純也を見る。小首を傾げて、「どうしたの?」と返すと、彼は少しばかり周りの目を気にしたように軽く身を乗り出し、尋ねてきた。
「ゆうかさんから見た兄さんってどんな感じなのかな?」
「どう……って、どういうこと?」
質問の真意をはかりかね、ゆうかは眉を潜める。
つい数十分前から、二人はとある喫茶店で、小暮を待っていた。純也と小暮――警察史編纂室が調べている誘拐事件の情報を各々で集め、指定した時間に集まる予定になっていた。だが、少し遅れると、申し訳なさそうな声の小暮から連絡が入り、こうして今、純也たちは時間を潰している。
最初は事件に関しての考察などしていたが、ふとした切っ掛けで会話が途切れた。知らない相手なら気まずくなるだろう。けれど、ある意味濃い――それこそオカルトや『鬼』。誘拐事件など、日常からかけ離れたようなことばかりだ――やり取りをしているせいか、逆に訪れた沈黙を、ゆうかは心地よく思えた。
そこでさっきの質問だ。何故、今訪ねるんだろう。ゆうかは不思議そうに首を傾げて、純也と同じように身を軽く乗り出し、彼の顔をまじまじと見つめた。
近い距離からじっと見つめられ、純也が身を引いて恥ずかしそうに俯く。
「いや、あの。……ゆうかさんは兄さんの授業を取っているんだよね。ぼくはあまり大学での兄さんを知らないから……、どうなのかなぁって」
そう言って純也は、恥ずかしい気持ちを持て余すように、カフェオレをスプーンでかき混ぜる。頬が、仄かに赤くなっていた。
照れる純也を、ゆうかはかわいいと思った。二十三にしてはまだ童顔なせいもあるだろうが、それを差し引いても同じことを言えるだろう。考えることを言ったら、ここにはいない小暮が『先輩に対してなんてことを言うか!』だなんて怒られそうだ。
でも、そこが純也の良いところなのだろう。彼はキャリア組だが、それを鼻に掛けたり、偉ぶったりしない。純也と言う名前の通り、純粋で人当たりの良さそうなところが、ゆうかは気に入っている。
「そうねぇ」
あんまり見つめたままでは可哀想だ。ゆうかも身体を戻し、カプチーノを一口飲んでから答える。
「凄く立派な人だと思うわ。授業とか課題とか、厳しいところもあるけれど。その分きちんと身になっているし。それに、自分のやっていることに、凄く真剣なのよ」
「うん。兄さん、民俗学とか都市伝説とか詳しいから」
同調して、純也も頷く。
「そう。それを自分の力で成し遂げているのが、先生の凄いところだと思うわ。今行っているアメリカの学会にも、先生を評価している人がいるしね」
「ゆうかさんも?」
恐る恐る、純也が尋ねた。
「ゆうかさんも……、兄さんのこと尊敬しているの?」
「もちろん」
ゆうかは即答で答え、にっこり笑った。
「わたしは先生のゼミを受けたくて、須未乃大学に入ったんだから。尊敬してなきゃしないわよ」
堂々と胸を張って言い切ったゆうかを、純也は呆然と見つめ、「そうなんだ」と喜色一杯に微笑んだ。優しさが滲んだ表情に、今度はゆうかが純也に呆然となる。思わぬ不意打ちに、不覚にも胸が高鳴った。
「ゆうかさんがそう言ってくれて嬉しいよ。ぼくにとって、兄さんは自慢だから。兄さんが褒められるのが、一番嬉しい。だから――ありがとう」
「え、いや……本当のことだし、ね……」
落ち着け心臓。胸を擦りながら、ゆうかは純也の笑顔を見て、物凄い地雷を踏んだ気持ちになった。胸の奥がくすぐったくなるような、むず痒くなる。
そして、何となく霧崎が純也のことを教えたがらない理由が朧げに見えた。確かに、この表情を見たら、隠したくもなるだろう。あまり人に見せたくない。自分だけのもの。一人占めしたくなる。
――先生が学会から帰ってきたら怒られそうだなぁ。
目の前で嬉しそうに笑う純也を見て、ゆうかは眩しそうに目を細める。そして少しでも落ち着く為、カプチーノを一気に飲み干した。