三人寄れば、




 取っ手が伸びたビニル袋を持ち直しながら和が居間に入ると同時に、三笠が奥の部屋から襖を開けて出てきた。そこはパソコンやプリンタなどが置かれているところだ。昭和に置き去りにされたような日織の家だが、その部屋だけは妙に近代的でアンバランスな感じがする。
 和を見て、三笠は僅かに目を見開いて半歩後ずさった。どうしてか、驚いている。
「……一柳君か」
 遅かったな、と言いながら三笠は襖を閉める。そして手に持っているものを、さり気なく上着のポケットにしまい込んだ。
 猫の写真をプリンタしてたんだな、と和は気付いた。三笠は仕事で見つけた迷い猫を撮るのを、趣味としている。本人は恥ずかしいのか、そのことを隠し、偶然見てしまった和にも、口止めをしていた。
 最初こそ、見てはならないものをみてしまった気分になったが、時間が経つとそこまで変なことではないような気がした。苦労して見つけた迷い猫だ。喜びも一入だし、それを形に残しておきたくなる。
 ただ三笠はいつも不機嫌な顔をしている。周りが彼の猫好きを知ったら、きっと大半は意外に感じるだろう。そうして珍しそうな眼で見られるのを、嫌っているのかもしれない。
「お邪魔します、三笠さん」
 和はしまわれた写真に敢て触れず、笑って会釈した。持っていたビニル袋を軽く持ち上げて、三笠に見せる。
「約束通り、お取り置き持ってきました。たくさんありますから、どんどん食べてくださいね」
 満面の笑みの和に、「そうか」と三笠も口許を上げて笑った。
 ビニル袋に入っているのは、和の実家で作られている豆腐だ。欧州で三笠と豆腐について話している時に、その流れから豆腐を奢ることになっていた。
 和は欧州での事件で、三笠の助言に幾度も助けられている。城に隠されていた通路など、助言なしでは見つからなかったものもあり、和は三笠に感謝していた。
 帰国して間もなく、仕事に忙殺している三笠を労る目的もあり、今日こうして実家から持ってきた。少し重たかったが、近付いていそいそと袋の中を覗く三笠の喜んでいるような顔に、持ってきて良かったと和は思う。
「すまないな、わざわざ」
「いえ、約束してましたし」
「これだけあると、色んな豆腐料理が食えそうだ。酒もあればなおいいがな」
「酒だったら、ちゃんと準備してますよ」
 台所から、日織が出てきた。戸口で突っ立ったまま、顔を突き合わせて袋を覗き込んでいる和と三笠に「何してんですかい」と怪訝な顔をする。
「日織。豆腐がたくさん来たぞ」
 三笠が和の袋を取り、日織へと差し出した。受け取った日織は、袋に詰まった豆腐の量を見て「こりゃあ」と驚き大きく口を開けた。
「よくこんなに持ってきましたね。重たかったでしょう、和さん」
「大丈夫だよ。それに約束してたし」
「ならいいんですが」
「それよりもだ。一柳君がせっかく約束を守ってくれたんだ。だからお前もきっちり約束を果たしてもらおうか。冷や奴はもちろん、揚げ出し豆腐にその他諸々作れ」
 尊大な命令口調だが、日織は怒るわけでもなく、はいはい、と苦笑しながら頷いて台所に引っ込んだ。和はデイバックを部屋の片隅に置き、小走りで日織の後を追う。
 流しにたくさんの豆腐を前にして、献立を考えているだろう日織に、和は「何か手伝おうか?」と申し出た。
 日織は振り向いて、「いや、いいですよ」と後ろ首を掻きながら言った。
「三笠さんは俺に作れって言いましたし、そう言う約束でしたしねぇ」
 欧州での事件が解決を見た後、アルノルトを始め日織たちが起こした狂言の数々を知った三笠の怒りようは、ものすごかった。明らかに度を超えていた狂言殺人はやりすぎだろう。それになんだ、あの間抜けにも程がある鍵盤ハーモニカは。日織、そんな間違った気遣いを発揮するより前に、なぜ止めない。そうまなじりを吊り上げ、怒りの言葉を並び立てる三笠はとても怖かった。和だったら即座に半分泣きながら謝り、さらに怒りを掻き立てただろう。日織は、困ったように肩を竦め、苦笑いしながらも謝っていた。だが、三笠の怒りは治まらず、一つ要求を突き付けた。
 ――お前、日本に帰ったら俺と一柳君に奢れ。むしろたかられろ。そうされる言われがお前にはあるぞ。
「まぁ、元々和さんには奢るつもりだったんですからいいんですけど。三笠さんはねぇ」
 さっそく調理に取り掛かった日織を横から見て「いやだった?」と和は首を傾げた。向こうでは結構仲良く見えたのに、どうしたんだろう。
「そう言う訳じゃねえですぜ?」
 日織が首を振った。
「ただあの人磯前さん並にザルだから。酒に付き合うと、次の日はちょいと堪えるんでさぁ。帰った後の部屋の片付けを考えると、実はちょっと憂鬱だったりもしますし」
「そんなにすごいんだ……」
 磯前の酒の強さを和は知っている。前、一緒に飲んだ時、目の前でどんどん増えていくビールの空き缶の量を思い出した。よくあの体でこんなに飲めると、呆れながら感心していたものだった。それと同等の三笠が今日とことん飲むつもりなら、磯前の時よりももっとすごいことになりそうだ。
「和さんは部屋に戻っててくだせえや」
 賽の目に切った豆腐を、だしの香りがする鍋に入れながら、日織が促した。
「こっちは俺ひとりで平気ですから」
 和はわかった、と頷いた。下手に手伝って失敗したら、あとで三笠が怖そうだ。
 言われるまま部屋に戻る。三笠がこたつに入っていた。膝に日織が飼っている猫を乗せ、喉を撫でている。気持ちいいらしい猫は喉を鳴らしながら尻尾を揺らしていた。
「今、気付いたんだが」
 お邪魔します、とはす向かいに和がこたつに入ると、三笠が突然言った。
「日織の家も結構羨ましいものだ」
「羨ましい?」
 どこがそうなんだろう。
 言葉の意味をわかりかねた和に、ああ、と三笠は猫の喉から背に撫でる手を変えた。
「ここは結構猫が集まるらしいじゃないか。あいつが子供の頃、集会開ける程に群がられた事もあると聞いたぞ」
「僕もその話は知ってます」
 その話は和も日織から聞いていた。彼が小さい頃、縁側で昼寝をしていたら、何処からともなく猫がそのまわりに集まり、一緒に寝ていたらしい。それを見た高遠延二郎の狂喜ぶりはすごかったようだった。写真を何枚も撮ってたらしいですよ、とその孫に聞かされた和は、高遠延二郎の孫バカぶりに閉口した覚えがある。
「俺は猫の集会を見れたことは今の仕事をしていても殆どないんだ。でもここなら、もっと見やすくなる気がする」
 三笠は真剣そのもので、冗談を言っているように見えない。どうしよう。ここはなんて答えるべきか、和は迷う。
 考えあぐねている間にも、三笠は顎に手をやり「いっそしばらくここで寝泊まりするか」と本気の目で言った。
「え、でも日織がなんて言うか」
 ものすごく困りそうな気がするのは確かだ。
「何を言う。あいつがあっちでしたことを考えればまだ優しい方だと思わんか?」
「……」
「問題は仕事がいつ一段落つくかだが。俺がいない間に集まられても困るし」
 どうしよう。既に決定している方向で話が進んでるけど。和は弱り果て、台所にいる日織に早く来た方がいいと念を飛ばしたくなった。早くこないと、 本当に三笠が住み着いてしまう。
「どうした。そんな遠い目をして」
「……なんでもありません」
 どこまで猫が好きなんだろう。ただならぬ情熱に、和はそんな疑問を抱かずにはいられなかった。



「で、だ」
 日織が作った豆腐料理を囲んでいると、和が懸念していたように、三笠が突然口火を切った。
「しばらくここに泊まっていいか?」
 突然の提案にビールを飲んでいた日織がむせた。落としかけたグラスを慌てて置き、せき込む口を手で押さえる。
「ひ、日織、大丈夫?」
 心配する和に日織は、涙目で「大丈夫です」とせき込みすぎてひくつく声で答えた。
「なんでいきなりそんな話になるんですかい」
 脈絡なく降って湧いた話に、案の定日織は困っている。だが三笠は、日織の動揺など右から左へ受け流し、淡々と自分の考えを述べていく。
「いや、俺の夢を叶えるのに、お前の家は理想的だと気付いてな」
「仕事はどうするんで? もし泊まらせるとしても、生活する時間があいそうにないですからなんのおもてなしも出来やせんよ?」
「寝床さえあれば十分だ」
 即座に返ってくる答えに、日織は言葉もない。ちらりと視線を向けられ、どう言うことかと、説明を求めているようだったが、和は曖昧に笑って場を濁すしかなかった。
「何だ。俺じゃ不満か」
 三笠が目をすがめて言った。
「一柳君にはすぐ了承するそうじゃないか、なのに俺にはその仕打ちか」
「いや、そう言う訳じゃ」
「第一、お前はここぞと言う時に付き合いが悪いからな。もう少し親睦を深めてもいいんじゃないか」
「ですから」
「まぁ、どうしても嫌なら仕方ないが」
 三笠は和のほうを見た。急に視線を向けられ、口へ運びかけていた揚げ出し豆腐をこぼしそうになる。
「それじゃあ一柳君のほうに厄介になろうか」
「え?」
「三笠さん!」
 きょとんとした和と焦った日織の声が重なった。
 ふん、と三笠は鼻を鳴して素っ気無く日織を見る。
「お前がすぐに了承しないからこうなるんだ」
「三笠さんの夢を叶えるのに、俺の家が理想的じゃなかったんで?」
 和が引き合いに出されて、日織は見てわかる程、焦っていた。ここまで困っている日織は初めてだ。出会ってから、こんな彼の姿を和は見たことがない。
「いや、一柳君の家もまた、俺にとっては羨ましい要素が多いんだ。どうだ一柳君、構わないか?」
「僕は別に構いませんけど」
 お世話になったし。何日も泊まられるのはさすがに困るが、三笠なら良いような気が和はする。
 のんびりとした答えに、焦るのは日織だ。腰を浮かせて、和と三笠を交互に見ながら言った。
「和さん、そんな安請け合いは感心しませんぜ。答えるにしろ、もうちょっと考えてくださいや」
「そんな風に言われると、まるで俺があんまり信用されてないように聞こえるんだが。そうか、お前にとって俺はその程度か」
「……」
 とうとう日織は黙ってしまう。二の句が告げず、小さく口が開いたり閉じたりしていた。
 和も所在なく、烏龍茶を舐めるように飲みながら、三笠を見る。三笠は困っている日織にしてやったりと言うような顔をしてほくそ笑んでいた。
 和は気付いてしまった。もしかして、三笠はわかってて日織をからかっているんじゃないだろうか。 欧州での狂言に振り回された分をやりかえしているのかもしれない。だからわざと日織を困らせるようなことばかりして。
 和は考えを探るように三笠を見る。視線に気付いた三笠が日織からは見えないよう、和のほうを見て笑みを深めた。和の考えがあっていると裏付けるような笑顔だった。
 三笠さんはやっぱりどこでも三笠さんだなぁ。
 妙な納得をしてしまう。そして、三笠がそれらの言葉を本気で言っている訳ではないとわかり、安心した。
 友達が誰かに悪く言われるのは、やっぱり悲しいから。



「で、君のほうはいつ来てもいいんだ?」
「……冗談じゃないんですか?」
「俺はいつだって本気だが?」
「……」
 さっき思ったことは撤回したほうが良さそうだ。和はそう思い、困り続ける日織に慰めるような眼を向けた。