おおげさ




 大きく嘆きの声を上げて、犬童がソファに突っ伏した。投げ散らかした馬券が、床やテーブルにはらはらと落ちていく。
 どうやら、今日は大負けらしい。
 テレビに映っている勝ち馬が、悠々と歩いているのを苦笑混じりで見ながら、純也はそろそろコンビニで買ってきた弁当をテーブルに置く。
「あかん……、今日はいけると思うとったのに……。何でや……」
 悔しそうに呟く犬童に、御愁傷様です、と内心慰めつつ、純也は静かにその場を離れた。どうせ、言ったところで愚痴につき合わされるだけ。ならば近づかない方がいいだろう。
 ――もう少し、馬券の買い方を考えた方が良いとも思うが。
 とりあえず、純也は目の前の平穏を選ぶ。かごめは今、外に出ているので、羽を伸ばす良い機会だった。
「犬童警部も懲りないであります」
 小暮が、煎れた茶を乗せたお盆を手に、やってきた。席に着いた純也に「どうぞ」と茶を置いて、自分の席へと戻る。
「賀茂泉警部補も口煩く注意しているようでありますし……。もう少し自分の行いを振り返ってほしいものでありますが」
「無駄でしょう」
 純也は緩く首をふった。
「それぐらいで犬童警部が変わるなら、賀茂泉警部補だって、編纂室でそんなに怒鳴ったりしませんから」
「……確かに」
 小暮も同意する。
 かごめが警察史編纂室に配属されてから、ほぼ毎日犬童を更正するべく目を光らせ、公営ギャンブルへ行こうとするなら、直ぐさま叱責が飛んでくる。犬童は露とも気にせず、かごめをのらりくらりとかわしているが、毎日かごめの理論を突き詰めたような言葉の数々に、聞いている純也たちの方が参っている。
「まぁ、大人しくなった犬童警部、なんて何となく落ち着かないような気もしますけどね。……あ、そうだ」
 純也は机に置いておいたコンビニのビニル袋を探り「これ、どうぞ」と取り出したものを小暮に渡した。反射的に受け取った小暮が見てみると、苺と生クリームがふんだんに使われたケーキが、大きな両手にすっぽり収まっている。
 小暮は大きく目を見開いて、驚いた。
「これは……、期間限定の……」
「へぇ、そうなんですか?」
「人気があり過ぎて、滅多に買えないものであります」
 純也が買ってきたそれは、コンビニが有名メーカーとタイアップして作られた期間限定の商品だった。美味しいと評判があっという間に広がり、今では手にするのも至難の技らしい。
 甘いものが好物である小暮もまた、それを狙っていた一人だったが、あまりの競争率の高さに、諦めていた。それでもコンビニに立ち寄る度、仄かな期待を胸に菓子売り場を見てみては、大きな肩を落としていたが。まさか、こんな形でお目にかかれるとは、予測していなかった。
「そうなんですか。知らなかったな」
 一方の純也は、呑気に言っている。どうやら、全く知らなかったらしい。
「ぼくはただ、小暮さんが好きそうだなぁって思って買っただけなんです。苺、好きなんでしょう?」
「大好きであります」
 小暮は頷く。苺パフェも、苺ミルクも大好きだ。
「やっぱり」と純也は頷く。
「小暮さんにはいつも頼りにさせてもらってますから。ささやかながらですが……、お礼です」
 そう言って、にっこり笑いかける純也を見つめ、小暮はそろそろと手の平のケーキを見つめた。
 まさか。まさか。先輩が自分の為にこんな嬉しいものを買ってきてくれるなんて!
 小暮は感極まり、あまりの嬉しさについ勢い良く立ち上がってしまった。弾みで椅子が、がたんと音を立て、後ろへ下がる。
「こ、小暮さん?」
「ありがとうございます先輩! これは後生大事に――」
「いや、それ生モノですから。今日中に食べてくださいね」
 編纂室に響き渡る小暮の大声に、純也が冷静に言葉を返す。そして、なおも感動し続ける小暮に、
「あーもー、うるさいっちゅーねん!」
 と犬童が怒鳴り散らして、再びソファに突っ伏した。