おもいで




「ゆうかさん空眺めてどうしたの?」
 ぼんやりと開けた窓から空を眺めているゆうかに、文献を読んでいた純也が顔を上げて尋ねた。ゆうかは「んー?」と生返事を返す。爪先でリノリウムの床をとんとんと叩き、暇そうに揺らす。
「曇っちゃったなーって思って。ほら今日は七夕でしょ? 天の河が見られるかどうかは別として、何となく晴れてほしいもんなのよね」
「東京じゃあ夜でも明るいから見えにくいから」
 純也が応える。夜になっても、あたり一面ネオンの明りで空は星の小さな瞬きをかき消してしまう。そう言えば、最近はあまり夜空を見上げたりしなくなった。忙しさからかもしれないけど、心の余裕が前よりもなくなったからか。それはちょっと寂しいことかもしれない。
「ぼくも小さい頃は天の河みたいってよく言ってたなぁ」
 感傷に浸り、昔を懐かしみながら言う純也に、ゆうかが振り向いて興味を示す。
「へぇ、純也くんにもかわいい頃があったのねー。ちょっと見てみたいな」
「……あはは」
 ぼくはあんまり見せたくはないけどね。
 笑って誤魔化しながら、純也は内心でそう付け加える。ゆうかに昔の自分を知られたら、色々からかわれるのが目に見えていた。それは勘弁したい。
 幸いゆうかは、あっさり話題を変えてくれた。曇り空へと視線を戻し、憂鬱な溜め息を深く吐き出す。
「あーあ。あっちだったら見れたかもしれないのになぁ」
 あっちとは、恐らく以前住んでいたところなのだろう。山間部の村だと言っていたから、ここよりは星が見えるはずだ。
「残念だったね」
「プラネタリウムでも行こうかしら。気分だけでも楽しみたいわ」
 プラネタリウム、の言葉に純也が「あ」と眉を跳ね上げた。
「どうしたの純也くん?」
 ゆうかが純也を振り向き、首を傾げる。
「いや、子供の頃ついでにちょっと思い出しちゃって」
 純也は懐かしさから、子供のように笑った。
「さっき天の河みたいってわがまま言ってた時にね、兄さんがプラネタリウムに連れて行ってくれたんだ」
 その時ドームに写し出された無数の星に、子供の純也は感激した。夜になると、こんなにも星が輝いているなんて。
 プラネタリウムを見た後も、霧崎は興奮して疑問を次々と投げかける純也の問いを、答えてくれた。以前月に行きたかったと思っていた、と霧崎は教えてくれたのもこの時だ。
「兄さんその時はもうオカルトなものばかり読んでいたから、星にも詳しくてびっくりしたよ」
 思い出を語る純也の顔は、笑んでいる。
 窓際に背を向けて、ゆうかは「うーん、確かに」と腕を組み、深く頷く。
「あ、でも多少ロマンチックなところがあるからそれはそれで納得かな。先生弟バカだし」
「バカって……。ゆうかさん?」
 聞き捨てならない言葉に、純也が眉を潜める。「誉めてるのよ」とゆうかが肩を竦めると同時に、研究室の扉が開いた。講議を終え戻ってきた霧崎が、純也とゆうか二人の視線を受け、ドアノブを握ったまま立ち止まる。
「……? どうかしたか? 俺の顔に何かついているのか」
「ううん」
 純也は言葉を濁し、曖昧に笑った。
「なーんにもついてませんよ。ね、純也くん」
 ゆうかに話を合わせ「うん」と純也が頷く。
 まさかさっきまで話題にされていたとは思ってもいない霧崎は、笑いあう二人を見て不思議そうな表情をした。