休日が重なった日。成瀬の住むアパートに、和が久しぶりにやってきた。成瀬は役者の仕事、そして和は大学となかなか二人で会う機会も少なく、だからこそ今日は楽しもうと思っていたが。
「成瀬くん。ドラマ出演決定おめでとう」
出番が多い役なんだよね、と和に笑顔で言われ、その気持ちは僅かに萎んだ。テーブルに向かい合って座った形から、成瀬は身体ごと和から目を反らす。
突然不機嫌になった成瀬に、和は「成瀬くん?」と戸惑う。何か悪いことを言ったのかと様子を窺っているようだ。
そんな和を見て、感情的になった成瀬の胸を、罪悪感がちくりと刺す。久しぶりに会えたのに、悲しそうな顔はさせたくない。
決まり悪く頭を掻き、成瀬は「悪い」と和に向き直る。
「……もしかして、嫌だったとか?」
卓に肘を突き、和が上体を乗り出して成瀬の顔を覗きこんだ。
「だって執事役だぜ?」と成瀬は顔を顰めた。
成瀬にとって執事はトラウマだった。雨の降りしきる七月末、巻き込まれた殺人事件を思い出すからだ。帽子屋の名前で集められた役者らにはそれぞれ役が宛がわれ、成瀬は『椿』と言う名の執事がそうだった。だからどうしたって、連想してしまう。
「あん時散々執事役はごめんだって公言したのによ……」
館から生還した後、成瀬は会見でそう言った。事務所の人間にも散々零した。しかし何を思ったのか、社長が取ってきたドラマの仕事は執事役。
マネージャーから伝えられた時、もちろん社長に直談判で抗議した。だが社長権限で突っぱねられ、そのままドラマでの執事役が決まってしまっている。
新人のうちは仕事が選べない。わがままだと分かっていてもやりきれない。
「で、でも僕は嬉しいよ。だってまた執事してる成瀬くんが見られるし」
うなだれる成瀬に、和が必死になって「それに仕事してる成瀬くん見てるの僕好きだよ」と卓に乗せられた成瀬の手をぎゅっと握りしめる。和の手から伝わる温かさが、ささくれていた成瀬の心を宥めた。
雨に閉ざされた館で起きた殺人事件。それを解決に導き、成瀬の傍にいることを望んでくれた和は、その名前通りいつも場を和ませてくれる。
成瀬より三つも年上だけどほっとけなくて、でも時にはこうして支えてくれる。他にも和に思いを寄せている人数の多さを知っているから、彼の手を掴めた幸運を感じるのはこんなときだ。なまじ、ライバルは手強く――それこそ和の世話をやきすぎている着流しの男とか――それをくぐり抜け、和と想いを通じ合わせた自分をたまに褒めたくなる。
「……成瀬くん」
黙る成瀬を不安に思ったのか、恐る恐る和が呼んだ。
成瀬は顔を上げ、和に笑って見せる。
「バーカ。誰もやらない、とか言ってないだろ」
「えっ?」
軽く和の額を指先で弾く。驚いた和は咄嗟に額を庇ってきょとんと瞬きをした。
「え、だって成瀬くん執事役はいやだって……」
「やりたい役じゃないからってえり好みしてたら、仕事なんかあっという間に来なくなるぞ。……まあ確かに執事役はあんまりしたくはねーけどな」
でもそれで逃げてたら、いつまでも俺は役者として成長しない。
「でもあそこで命までかけて高い授業料払ってんだ。その成果、見せてやろうじゃん」
「成瀬くん……」
「お前だって、楽しみにしてるんだろ?」
「もちろんだよ!」
呆然と成瀬を見ていた和の表情が、たちまち明るく綻んだ。大きく頷き「放送日が決まったら教えてね。僕絶対見るから。あとちゃんと録画の予約もするね」と楽しそうに声を弾ませる。
こりゃいよいよ失敗出来ねえな、と和の笑顔を見て成瀬は思った。和はいつも嘘のない笑顔で成瀬を応援してくれる。この笑顔を見る度、いつも思う。和の為にも、必ず役者として成功しようと。
「和」
成瀬は和に掴まれていた手を解き、逆に握り返した。ゆっくりと成瀬に向かって卓に乗り出していた頭に、自分のそれを近づける。
二十一にしては幼い顔が「成瀬くん?」と首を傾げた。それだけなのにとてもかわいらしいと思うのは、惚れた欲目か。
「じゃあ、オレがすげー頑張れるように、してほしいことがあんだけど」
「何? 僕に出来ることならなんでもするよ」
「言ったな」
にやりと成瀬は笑って、さらに顔を近づけた。二人の前髪が触れ合うところまで迫り、そのまま耳元に移動した唇を寄せる。
絶対顔赤くなんだろーな、と予想しながら、成瀬は和にしてほしいことを告げた。
「――――してほしいんだけど」
びくりと和の肩が跳ねて震えた。分かりやすい反応に、思わず笑いが込み上げる。顔を上げれば真っ赤になっている和が拝めるだろう。
成瀬は勿体振ったように身体を離す。案の定、和は真っ赤になっていた。こういうところがもっとかわいいと思う。
繋いだ手を離して、きつく瞼を閉じた和の頬に触れるとそこは熱かった。身体は硬直してて、まだ慣れてないんだなと思う。今までだって、何度も同じことをしてきたのに。
殺人事件に巻き込まれるなんて。しかもその標的にされかけたなんて。不運もいいところだけど。それでも、あの館で和に出会えたのは、成瀬にとって唯一の僥倖だった。こいつがいる限り、俺はヘマしない。絶対、役者として成功してみせる。
何よりも、傍で応援してくれる和の為にも――。
腰を浮かせてさらに身を乗り出し、軽く唇を合わせる。すぐに離れても刺激は強く、和は恥じ入ったまま。だが、閉じていた瞼を開けて、赤い顔で成瀬を見るとその袖をぎゅっとにぎりしめた。
身体を伸ばし、唇がぶつかった。勢いが強くてうまく重ならず、少しずれる。
「これで、もっと頑張れる、かな?」
照れながらも成瀬を上目づかいで見遣り、和は言った。
成瀬は呆然と和を見て――大きく笑った。
「ああ、あったり前だろ。『椿』の時よりもすげー執事の姿、見せっから」
宣言する成瀬に和は嬉しそうに頷く。
それを見て、もっとこの笑顔が見れるように頑張ろう、と成瀬は心から思った。