那須の暴走のお陰で、犯人が自首することになり、雨に閉ざされた館で起きた見立て殺人は一応の幕が降りた。
 だが、もう誰かが殺されることはないが、降り続く雨は、まだまだ止みそうにない。
 自室で持ってきたラジオを弄り、選局している椿はノイズ混じりに聞こえてくるニュースを聞いて、眉をきつく寄せた。崖崩れの復旧は、雨のせいで遅々と進まないらしい。この分だと、帰れる日はまだ遠そうだ。
「あんまり良くないみたいだね……」
 ラジオを弄る椿を見て、ソファに腰掛けていた和も顔を曇らせた。いれてきたコーヒーのマグカップを、両手に包み持って、不安そうに口をつける。
「まーな。でも天気のことばかりはどうしようもねーだろ」
「て、てるてる坊主をもっと作ってみるとか?」
「やめろ。アイツ思い出すから」
 テラスに掛けられたてるてる坊主を思い出し、椿はうんざりする。あれも那須が作ったもので、今視界に入れたら、芋づる式に彼がしてきたとんでもないことを連想してしまいそうだ。ただでさえ、殺されかけたのに、これ以上頭痛の種を増やしたくない。
「大人しく待ってよーぜ。もう犯人は自首するつってっし。誰かが殺されたりとかはなんねーだろ」
「うん」
 ラジオの電源を切った椿は、ベッドへ座り「オレの取ってくれ」と和に自分のマグカップを取ってもらうよう頼んだ。
 和からマグカップを受け取った椿は、いれられているコーヒーを一口飲んだ。斑井が奇妙な形で殺されているのを見てから、ろくに食べる気がしなかったので、久しぶりに飲んだその味は、インスタントのものでも、いつもより格段においしい。
 ふう、と思わずついた息に、和が小さく笑った。
 それを見咎め椿は「……何だよ」と和を睨む。
 和は笑みを崩さないまま「大分戻ってきたなー、って思って」と言う。
「戻る?」
「出会った時の椿くんに。それから色んなことがあったし、椿くんもだけど、皆の顔が暗くなっていったから……。だからそれがなくなって、嬉しいなって思ったんだ」
 そう言った和の声は、怯えなどなく、心から安堵している。戻ったというなら、それは和も同じだろう、と椿は思った。色々なことがあり、和の声音には今にも逃げ出したいと言わんばかりの怯えが滲んでいたから。
 さっと椿は腕時計の文字盤へ目をやった。夜も更けている。もうそろそろ寝たほうが良さそうだ。
「和。お前今日も居間のソファで寝るの?」
 椿は尋ねた。昨日の晩も那須の行動が原因で、和と日織は部屋を双子に譲っている。居間のソファで横にはなれるが、少し固めで熟睡出来るかはまた別問題だ。
「うん。そのつもりだけど……」
 コーヒーを飲み終えたマグカップをローテーブルに置き、和は躊躇いがちに言った。心なしか、頬が赤くなっている。
「椿くんのところに行く前に、日織が……」
「日織が?」
「遊びに行くついでに泊めてもらっちゃあどうですかい――って。和さんが頼んだら、きっと喜んでベッド貸してくれますよ、って言われてさ」
 和は困惑しながら、視線をベッドの辺りでさ迷わせる。
「オレは別に構わねーけど」
 そこまで寝る場所に頓着しない椿は、それよりも和のほうが重要だった。絶対、アイツのがひ弱だろ。
 しかし和も譲らない。膝に乗せた手をぎゅっとにぎりしめ、思いがけず強い視線を椿に見せた。
「でもそうしたら、椿くんの寝る場所がなくなっちゃうよ」
「オレがソファで寝りゃ済む話じゃねーか」
「ダメだよ。椿くんここから出た後仕事あるって言ってたよね。風邪ひいたら大変だって! 雨のせいか夜も結構冷えるし」
「お前みたいなひょろっこい奴のほうがよっぽど風邪ひいちゃヤバイだろ。こじらせたらどうすんだ?」
「僕よりも大事にしなきゃいけないのは椿くんだよ」
 言い出したら聞かないところがある和は、椿が何を言っても言い返し、首を縦に振らない。このままじゃ埒があかない。堂々巡りに飽きがきた椿は、ふと思いついたことを深く考えもせず口にした。
「じゃあいっそ、一緒に寝るか?」
「えっ?」
 驚いた和が、目を丸くして椿を見た。
「そうすりゃオレもお前もベッドで寝れるし。まぁ寝相が悪かったりして蹴飛ばされるのはごめん……だけ……ど……」
 言葉は途中で途切れた。和の顔が一気に赤くなったからだ。いや、顔だけじゃない。耳や、首元まで赤く染まっている。
 真っ赤になった和につられ、椿も頬を赤くした。そして、さっき自分が言い出した提案の意味を噛み締め、頭に血が上る。一緒にベッドで寝るってことは、どうしたって身体が引っ付いてしまうではないか。
 二人は黙り、互いの顔をじっと見る。何とか会話の糸口を見つけようとしたのか「あ、えと、その」としどろもどろに和が言葉にならない声を紡いだ。だが、微動だにしない椿に、とうとう視線を俯かせる。
 外の雨音が室内でやけにうるさく響いた。
 駄目だ。こんな状況でいらんねー。自爆のスイッチを踏み抜いた椿は乱暴に髪を後ろに撫で付け、座っていたベッドから立った。
「……つ、椿くん?」
「ちょっと、頭冷やしてくる。お前はベッドで寝とけ」
「え、でも……」
「いいから。もう犯人捕まってっし、部屋の外でも安全だろ」
 何か言い足そうな和を強引に振り切り、椿は部屋を飛び出した。乱暴に閉めた扉に背中を凭れさせ、そのままずるずる座り込む。
 頬に当てた手は熱く、容易にまだ赤いとわかった。
「アイツのせいだ」
 何を考えたのか知らないけど、勝手に赤くなったりするから、つられてこっちまで赤くなってしまった。だから和のせい。でも元を正せば、一緒に寝るか、と言った自分が一番悪い。
「どうすっかな……」
 小声で呟き、椿は頭を抱えてうなだれる。頭を冷やしてくる、とは言ったが、また和と顔を合わせたら、元も子もなくなってしまうだろう。でも戻らなければ、和はずっと起きて待っていそうな気もして。
 つまるところ、どちらにしても腹を決めなければならないらしい。とんだ自爆のスイッチを踏み抜いたもんだ、と椿は発言の迂闊を呪う。
 椿は緩慢に重い腰を上げた。とりあえず、テラスに出て頭を冷やそう。
 やってらんねー、と頭を掻きながら椿はぼやく。どうしてこんなにドキドキすんのか、自分がわからない。いや、理解しているけど、直視したくない思いが混じっているのかも。見てしまったら、もう戻れない気がして。
 落ち着け、オレの心臓。胸を摩りながら、椿は階段を降りる。だが結局頭が冷えることはなく、心配した和が迎えに来るまで、ずっとテラスにいるのを、まだその時の椿は知る由もなかった。