むじかくです
和がいるから、と日織の家にやってきた成瀬は、通された居間に腰をおろすなり、持っていたカバンから脚本を取り出した。今、成瀬が出演しているものだ、と表紙を見た和は思う。あの事件の後、知り合った人たちが出ている番組はチェックしているので知っていた。一番把握しているのは、成瀬だけだけれども。
お茶を飲みながら、和は脚本をぱらぱら捲る成瀬を見た。その視線に気づき、成瀬はバツの悪い顔で「こっちから押し掛けてきたのに悪ぃ」と片手を軽く上げ謝る。
「貰ったばっかなんだこれ。ちょっとどんな話か、雰囲気だけでも掴んどきたくてよ」
「ううん、構わないよ。大事なことなんだろ?」
和は首を振って笑った。もちろん全く怒っていない。成瀬が役者に対してどれだけの熱意を持っているか、和は分かっている。情熱の殆どを注ぎ込んでいるといっても差し支えないだろう。愚直なまでのその気持ちは、嫌いではなかった。寧ろ成瀬らしいと、好ましく思える。和は成瀬のそんなところが好きだった。
「そうか」と安心したように成瀬も笑って、脚本へと目を落とす。真剣な面持ちに、やっぱりこういうところ好きだなぁ、と思いながら、和は成瀬の顔をじっと見つめた。
ふと我に返って、成瀬は壁に取り付けられた時計を見た。自分が思っている以上に時間が経っている。まだ数十分しか経っていないだろうと高を括っていた分、驚きも大きい。
「あ、終った?」
時計を見つめたまま硬直する成瀬に、気の抜けた声で和が言った。さっきと変わらぬ場所に座り、にこにこと成瀬に笑いかけている。
「あ、ああ。まあ、な」
「そう。じゃあご飯にしようか」
「え」
呆然とする成瀬を余所に和は立ち上がり「日織ー、成瀬くん終ったみたいだからご飯にしようー」と台所へ歩いていく。そして、その方向からはいはい、と着流しの男が苦笑したのが聞こえた。
なんてこった。
成瀬は脚本から手を離し、顔を覆う。
どうやら脚本を読むのに没頭していた成瀬を、和や日織は気遣ってくれたようだった。時刻は、本来夕食をとっている時間から、随分過ぎてしまっている。恐らくは成瀬の邪魔にならないように。
ゆっくりと、料理を盆に乗せ運んできた和に、成瀬は改めて「悪かったな」と謝った。
「オレのせいで飯食うのが遅くなってよ」
「なんだそんなこと」
和は全く気にしていないように言い、料理を卓に移動させていく。
「言ったろ。僕は構わないって」
「日織は?」
「成瀬さんらしいやって笑ってた」
その時の日織を思い出したのか、和は小さく笑い「それにね」と言葉を付け加える。
「僕も、成瀬くん見てて時間が経つの、忘れてたからおあいこだよ」
「……は?」
今、すごいことをさらっと言われた気がする。
目を瞬かせ和を凝視する。和は呑気に「すごい真剣だったよ。やっぱりすごいね」笑って言った。
「放送楽しみだな。撮影、頑張ってね」
「お、おう……」
あまりにもあっさり言われ、自分だけ過剰に反応するのも複雑だ。成瀬はもごもごと口籠りながら頷く。どうしてこいつは、無意識に恥ずかしいことばっかり言うんだ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
「おや、どうしたんですかい?」
日織がご飯をよそった茶わんを乗せた盆を手に、顔を出す。わざとらしく尋ねる表情は、しっかりここで何があったか把握しているようだった。分かってて聞いて、成瀬の反応を楽しんでいるのだろう。睨み付けても、飄々と笑って受け流す。
絶対、からかっていやがる、こいつ。
何となく悔しくなりながら成瀬は舌打ちをする。悪態を吐きたくなったが、和の前で言う訳にもいかず、「なんでもねーよ」と強がってそっぽを向いた。