塗る 純也+霧崎+人見
脱脂綿が、腕に押しあてられる。塗られたアルコールの、ひんやりとした感触に純也は顔を強張らせ、不安を表す。
初めて足を踏み入れた慣れない診療室で、人見はてきぱきと注射の準備をする。どんな時でも慌てない彼女を、純也は医者として尊敬するが、純也の横に立っている兄に対しては今、正直気に食わないでいた。
人の気持ちも知らないで。にやにやと笑っている霧崎を、純也はじろりと睨み上げた。
「じゃあ、いいわね」
人見は、注射器を手に持った。常世島でしかかからない風土病に効く薬の、その中身は。
ついさっき聞いてしまった薬の成分を思い出し、純也の不安が一層高まった。
「……人見さん。やっぱりそれ、打たなきゃいけません?」
出来ることなら回避したい。その一心で純也は尋ねる。
「そうね」と返ってきた返答は、明確で、純也の願いをたたき落とすに十分な威力を持っていた。
「純也君には風土病の症状は見られないけれど。念には念を入れておくほうがいいわ」
「………」
「純也も、間宮君みたいなことにはなりたくないだろう?」
黙ってしまった純也に、霧崎がからかうように言った。
「せっかくだ。きっちり予防しておけ」
「兄さん………!」
絶対に面白がっている。
純也とて、ゆうかみたいに風土病にはかかりたくない。突然狂暴化して襲いかかってきた彼女を思い出し、背中に寒気が走る。そして風土病に関する症状の数々を、自分の目で見てきた純也にとって、それは避けられるものなら、避けてしまいたい。
しかし、風土病を治療する薬が、何から作られるか。それを聞いてしまった純也は、素直に注射を受けられないでいた。
「芋虫そのものを打つ訳じゃなし。男なら我慢しろ」
「そう言うけどね兄さん! 知っちゃったら、はいそうですかって、素直に受けられないよ!」
まだ、人間の臓器から抽出された成分を入れられてないだけ、いいのかもしれない。だが、芋虫だけでも、重大なダメージを負いそうだ。
純也は、何も知らずに注射を受けたゆうかを、羨ましく思う。自分だって知らないまま受けたかった。
ため息を吐いて、肩を落とす義弟に、霧崎は傍観者の気楽さで「怖いなら、手を繋いでやろうか?」とからかう。面白がって子供扱いされ、むっとした純也は「いいよ」と突っぱねた。
負けるもんかと、意味なく対抗心を燃やし「人見さん、お願いします」と覚悟を決めた。
「そう? じゃあ行くわよ」
「………」
意を決し、腕に迫りくる針を、純也は見つめる。
その様子を見て、「純也はまだまだ子供だな」と霧崎は呟いたが、幸か不幸か、その声が純也の耳にまでは、届かなかった。
08/02/04
撃つ 椿←和
慣れない作業は、不安と共に金槌を持つ手をもたつかせる。長持の蓋に釘を持つだけでも、情けなく指は震えた。何度も、釘ではなく、それを持つ手を撃ち、反射的に口へと運ぶ。
じんじんと指先に広がる痛みを、舐めることで慰めて、それでもやっぱり滲んでしまう涙。これぐらいで泣いちゃ駄目だろ。和は手の甲でぐいっと目元を擦り、頬を叩いて気合いを入れなおす。
早く。早くしないと。
和は銜えていた指を戻し、金槌を持ち直す。指を撃ち付けたぐらいなんだ。これを何とかしないと、絶対怖いことになる。そんなの絶対嫌だから。
『鐘楼館の殺人』では、殺された当主が開かずの棺に押し込められて発見される。ならば、棺代わりに出来そうなこの長持は、絶対に使えるようにしてはいけない。
怖がりの癖に、和はつい思い浮かべてしまう。長持に押し込められた死体。昨日まで生きている人が、物言わぬ姿で見つかる。考えただけで、ぞっと全身に寒気が走った。
ああ、駄目だ。斑井さんだけでも、すごいショックだったのに。これ以上続くのなんて、もっと駄目だ。
慣れない大工仕事は、和の指に傷をどんどん作っていく。だが、決して投げ出さず、和は痛みで涙目になりながらも、続けた。
『そんな風に見られるってことは、執事役もいけるかもしれないだろ?』
初めて会話した時、椿の嬉しそうな笑顔を思い出す。
椿くんは悪いことをする人間じゃない。ぶっきらぼうで、よく怒られるけど。それだけじゃないんだって、僕は知っているから。
「……絶対死なせるもんか」
小さく呟き、和は一生懸命、金槌を振った。
08/02/12
『撃つ』より『打つ』の方がしっくり来るとは思いつつアップ。
辞書で調べたら、どっちの感じも同じ意味っぽかったので……。
求める 成和
我が侭だって、分かってるけど。
そう考えながらも、和は無意識に靴を履いて立ち上がった成瀬の服を掴んでしまった。裾を引っ張られ、振り向いた成瀬が「和?」と顔を覗き込んでくる。
心配させてしまい、和は恐縮しながら「ご、ごめん……」と謝った。
困らせちゃ駄目だよ。成瀬くんは、仕事があるんだから。邪魔しちゃいけない。
自分に言い聞かせながら、和はゆっくり服を掴んでいた手を離した。
鼻の奥がつん、とする。べそをかきかけ歪んでしまった口を無理矢理上げて、笑う。
「仕事、頑張ってね」
「おう。放送日決まったら、またメールすっから」
「うん、楽しみにしてるよ」
「………」
成瀬がふと手を伸ばし、泣くのを堪える和の頬を撫でた。そのまま髪もかき混ぜるように撫でると、和を安心させる笑みを浮かべる。
「……また、電話する。いいよな?」
「もちろんだよ。待ってる」
和の答えに「そっか」と成瀬は笑う。そして「泣くんじゃねーぞ」と言い残して家を出ていった。
手を振り見送った和の作り笑顔は、扉が閉まると同時に、見る見る萎んでいく。成瀬がいないだけなのに、あっという間に部屋が静かになってしまった。
一日千秋って、こんな感じなのかな。
和は締め付けられる痛みに、胸を押さえる。
会っていると、すぐ時間が経つように思えるけど。離れた途端、すぐ会いたくなって、待ち遠しくなる。
もっともっと成瀬君といたいな。
こんなことを求めるのは、彼のやっていることを考えると無理なんだと、分かっている。
……だけど。
我が侭なことを考えてしまう自分は、なんて傲慢なんだろう。
それでも会いたい。
成瀬に撫でられた頬に触れると、和はため息をつき、胸の痛みを誤魔化した。
08/03/12
泣く 椿和
どうしてこれでオレより年上なんだ。
椿は心から不思議に思いつつ、ベットの上で震える毛布の山を見た。中からは、洟を啜る声が聞こえ、良心をちくちくと刺してくる。
椿の部屋にやってきた和が、暗石から聞いた赤いカメオの話をして、そこから知っている怪談を話して聞かせる流れになった。和は嫌だと青ざめて逃げかけたが、椿はそれを許さない。無理矢理首に腕を回してソファに座らせ、自分が知っている限りの怪談を椿は話した。
案の定、和の反応は過敏だ。青ざめたり、泣きかけたり。見ていて飽きない。きっと暗石も今の自分と同じ気持ちだったんだろうと、椿は思う。
そして、面白すぎて、やりすぎてしまった。
解放した途端に、和はベットに潜り込んで、頭から毛布を被ってしまった。ふらふらした足取りに、椿はようやくやりすぎたか、と反省する。
日織がいなくて良かった。泣いている和を見た日には、こっちが怪談ばりに恐ろしい目にあいそうだ。
どうしようか。頭の後ろを掻きながら、椿はベットの淵に腰を下ろした。乱れたシーツに手をついて、毛布の山へと身を軽く乗り出す。うう、と呻く涙声に、一層罪悪感が胸を締め付けた。
「和」
背中のあたりをぽんぽんと叩く。毛布越しにも震えているのが手に伝わった。
「悪い。……オレが悪かった」
非は面白がって調子に乗ったこちらにある。椿は意識的に、優しく口調を和らげた。
「もう言わねーから。な? 機嫌直せって」
毛布の端が恐る恐る上がり、そこから和が顔を覗かせた。泣いた後が、はっきりと頬の上に残っている。椿を見つめる表情のあどけなさが目立ち、これで三つも年上だと、どうしても思えない。
「……本当に?」
おずおずと尋ねられ椿は「言わねえって!」と答え、ごり押しと言わんばかりに、微笑んでみせる。これでも役者だ。表情の切り替えぐらい、どってことない。
断言した椿に、ようやく安心した和が毛布から顔を出し、起き上がる。泣いた後で疲れ、ぼおっとしている。椿が差し出したハンカチを受け取り、ゆっくりと涙を拭いた。
「ごめん。……ありがとう」
「……」
「……椿くん?」
黙ってしまった椿に、和は首を傾げ、顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「……なんでもねー」
そっぽを向く椿に、ますます和は首を傾げてしまう。
さっきまで恐がらせて泣かせた相手に、すぐそんなことが良く言えるもんだ。椿は半分呆れながら、考えたことを飲み込んだ。
口に出したら、またからかいそうになって、和を泣かせるような気がしたから。
08/04/05
奈落やった後だと、この椿はザックと似ているなと思ったり
と言うか、根本的なところで似ている部分ありますよね、この二人。
誤魔化す 道明寺+純也
「道明寺さんって、お幾つなんですか?」
突然の問いかけに、道明寺は「はい?」と怪訝に純也を見た。
「小暮さんと同期なら、小暮さんと同じなんですか?」
顎に手をやる、いつものポーズをしながら推測する純也に、道明寺は眼を瞬かせた。純也から質問されるとは。そう言えば顔を合わせてから、純也に質問されるのは初めてだ。どういう風の吹き回しだろう。道明寺は純也を一瞥する。
純也は些細な疑問に呆れるほど真剣に思考を巡らせている。それがなんだかおかしくて、口元をくっと上げた。
「どうしてそんなことを聞くんすか?」
道明寺は純也のほうへ顔を近付け、尋ね返す。
「あ、もしかして俺の事が気になってるとか?」
からかう口ぶりに、純也は「違いますよ」と咄嗟に否定して、ぱっと顔を上げた。ただ、即座に否定して失礼だと考えたらしく、すぐ俯きがちになってしまう。
「ただ……、道明寺さんってどこかつかみどころが感じられなくて。印南警視の眼を盗んでまでこちらに協力してくれますし。バレたら危ないのは道明寺さんのほうでしょう?」
「そりゃ、あっちよりもセンパイたちのほうが頼りになるからっすよ」
道明寺は肩を竦め、頭を振った。
「ですが、メリットが見られません」
「ありますよ」と道明寺は純也の考えを即座に切った。純也が驚いて、道明寺を瞠目する。探るような眼に、道明寺はにへらと気の抜けるような笑いを浮かべて言った。
「斉藤祐介くんが助かると言うメリットがね」
惑いもなく流れる言葉に、純也は道明寺を凝視するが、やがて深く溜め息をついた。
「……なんだか、ますます道明寺さんが分からなくなってきました」
「あれ、そーなんすか。ひどいなぁ。俺は本当の事しか言ってないのに」
「茶化さないでくださいよ。で、本当はお幾つなんですか」
眉間に皺を寄せ、純也がそれていた話題を元に戻す。子供みたいに向きになる純也に小さく笑い、「じゃあセンパイから見た俺は、幾つぐらいに見えます?」と逆に問いかけた。尋ね返され、えっ、と純也は視線を宙に彷徨わせた。
「……少なくとも、僕よりは年上だと思うんです。だからと言って、それほど離れているとも思えませんし」
しばらく黙考した後「……兄さんと同じぐらいかな。もしくは三十代前半、と言ったところでしょうか」と純也なりの答えを導き出す。
「残念。違いますよ」
道明寺は笑って首を振った。
「なんだ、違うのか……」
予想が外れ、残念がる純也に道明寺は眼を細める。そして身を乗り出し、純也の耳元へ口を寄せた。
「――教えてあげましょうか。俺本当はセンパイの何十倍も長く生きているんですよ」
「……え?」
「不老不死ですから、俺」
息を飲む音が聞こえる。純也を見てみると、やはり信じられないらしい。純也は驚きで声が出せないでいた。純也の反応を楽しみながら、道明寺は笑みを深くする。
「あれ、知りません? 人魚の肉を食べると、不老不死になれるって。俺、実は食べたことあるんすよ」
「……じゃあそれで、不老不死に……?」
突飛な発言に純也は困惑して口を噤んだ。どう反応していいのか、困惑している。それはそうだろう。年齢の話から、いきなり不老不死だなんて単語、まず出てこない。
「信じますか。俺の話を」
尋ねる道明寺を、純也はじっと見つめ――、不快に顔を顰めた。悲しいことに、道明寺には見慣れているものだ。どうやらにやついた道明寺の表情に、からかわれていると思われたらしい。
「人をからかうのもいい加減にしてください。そんな風に誤魔化すぐらいなら、言いたくないとはっきり言ったらどうですか」
そうつっけんどんに言われ、そこで会話が打ち切られてしまった。尖った唇は、純也の不機嫌さがどれほどのものか、如実に現している。
こっちは誤魔化したつもりじゃなかったんだけど。
変なところで子供っぽい男の横顔を眺め、道明寺はやれやれと嘆息した。
08/05/18
実際道明寺って何歳なんでしょうね……
眠る 日織+和
聞き込みをしているうちに、気掛かりなことが生まれ、和は書斎に向かった。もしかしたら、知りたいことがあそこの本に乗っているような気がしたからだ。なかったとしても、日織に聞く手もあるし、推理の進展を報告しあったり、行って損はないだろう。
扉をノックし、ゆっくり開ける。ソファに座っているいつもの姿を見つけた。
「ひお――」
和は名前を呼ぼうとした口を慌てて押さえる。
日織は眠っていた。膝には読んでいる途中の本が、開いたまま置かれている。俯き加減に頭を落とし、静かに寝息を立てていた。
どうしよう。和は扉を閉め、入り口で立ち往生する。以前も同じことがあり、その時は日織を起こさないよう忍び足で歩こうとしたが、緊張のしすぎで転んでしまったのだ。何もないところで派手に転び、起きてしまった日織に苦笑され、とても恥ずかしかった。
ノブを握ったまま、和はどう行動するべきか迷う。また同じ失敗をして、日織を起こしたくない。だけど、気になることを分からないまま放っておいておくのも、落ち着かない。
書斎に視線を彷徨わせ、眠っている日織で止める。和を心配させないよう振る舞っているが、日織もまた命を狙われている側の人間だ。平気な訳ないだろう。それでなくとも、人が殺されているのに。
和が部屋に入ってきても、日織は全く起きる様子を見せない。やっぱり疲れているのだろう。息詰まる状況の中、日織は和の為に尽力してくれる。
休める時に休んでおいた方がいいよね。
和はうん、と一つ頷き閉めたばかりの扉をまた開けた。日織を起こさないよう、細心の注意を払って、書斎を出る。
ゆっくり休んで。
閉めた扉にこつりと額を当て、和は心の中で呟くと書斎を後にした。
今度来る時、起きていたらコーヒーでも煎れてあげようかな。そんなことを思いながら。
08/05/18