手を離す 成瀬×和
人の多いところだから、恥ずかしがるだろう。
成瀬は大通りに出る寸前、そっと繋いでいた手を離した。不意に離れた体温に、和が丸くした目で成瀬を見上げる。
「……成瀬くん?」
不安そうに顔色が曇った。何か起こらせることでもしたんじゃないかと悩ませる前に「恥ずかしいのは嫌だろ?」と優しく笑いかける。
「その代わり、こっち持っとけ。はぐれたらそれはそれでシャレになんねーし」
そう言って、服の裾を掴むよう、和に促す。
「………………」
しかし和は、じっと成瀬を見たままだ。そして、どうしたんだ、と尋ねる前に、いきなり笑い出す。
「な、なんだよ」
「だって、それじゃ手を離してもあまり変わらないよ」
「…………あ」
和に言われて気付き、成瀬は顔を赤くして、バツの悪さを誤魔化すように頭を掻いた。「あー、その、なんだ」とどもりつつ、離したばかりの手を再び和に差し出す。
「どうせ同じなら、手、繋ぐか?」
ぶっきらぼうな言い方に、和はつい吹き出してしまった。「笑うな!」と怒鳴っても、それはさらに笑いを引き起こすだけ。照れ隠しだと、和にはバレているようだった。
「ごめん」と謝りながら、和は成瀬の手に指を絡めた。ぎゅっと握りしめ、伝わる体温を確認して口元を緩ませる。
「うん。こっちの方が全然いいよ」
繋いだ手をゆるりと揺らした。握る手に、力が篭る。
「……そうだな。オレもこっちの方がいいや」
成瀬も笑んで、和の手を引いた。
「行くか」
「うん」
08/01/21
跪く 霧崎+純也
「まさか、お前にそんな趣味があったとはな」
「誤解だって!」
純也が珍しく慌て、兄に抗議する。冷静を保ち続けようとする姿とは打って変わり、焦る純也は見ていて哀れさを誘う。
「あれは、人見さんがそうしろって」
純也は霧崎の後を慌てて追い、弁明を計る。
「ならお前は、人見が言ったことならなんでも、ほいほい実行するのか?」
振り向く霧崎の目は、楽しそうだ。小暮をからかっている時と同等の光が、見隠れしている。どうやら、今は純也がその標的になっているようだった。
「――兄さんだって分かってる癖に。ぼくが人見さんの言うことを断りにくいってこと」
「だからって、あそこまで素直に跪くこともないだろう。分からないか? 状況的にあり得ないって」
「………………」
反論の余地はなく、純也は口を噤んだ。確かに、図書室でいきなり人見から床に這いつくばってほしいと頼まれた時、おかしいと思っていた。だが、純也も人見のペースに巻き込まれたところもあり、つい従いそうになってしまった。全てを人見のせいにするわけにもいかない。
人見に対し、跪く格好になったところで、別行動をとっていた霧崎が戻ってきた時の気まずさは、しばらく純也を苛ませる傷となって、悩ませるだろう。
もっとも、這いつくばる格好よりは、幾分もマシなのだろうが。
それでも純也にとっては大打撃である。図書室に入るなり、目を丸くした兄の顔を思い出して、情けないところを見られた、と純也の口から重いため息がこぼれる。
落ち込む弟を見兼ねたのか「悪い。少しからかいすぎたな」と霧崎が純也の方を振り向いて謝った。
「……いいよ。人見さんの頼みを断り切れなかった、ぼくが悪いんだし……」
気まずさを引きずる素振りをしながらも、純也は内心安堵する。兄にだけは、変な誤解はされたくない。もう今日は、あまりこのことに触れられないよう、心の底に仕舞って、大人しくしていよう。
純也が決心していると、「まぁ」と霧崎が呟く。その口元はからかいの余韻を引きずるように、上がっている。
「誰にだって触れられたくないことはあるからな。お前にそう言う趣味があることは、誰にも言わないでおくから安心しろ」
「だから違うって!!」
全く反省していない霧崎に、思わず純也は叫んだ。
08/01/22
どっちかと言うと、個人的に純也はSだと思ってます。
晒す 霧崎←純也
「なぁ純也。百物語でお前が見せたアレ、もう一度見せてくれないか?」
そう兄さんが言ったのは、お酒に酔ったゆうかさんを部屋に連れてった後、また酒飲みに誘われて、部屋で飲んでいる最中だった。
ぼくは、口に運びかけていたグラスを持つ手を止める。椅子に腰掛けている兄さんは、ぼくよりも多量に酒が入っているのに、全く酔う素振りもないまま、真剣な眼差しでこっちを見ていた。
「アレって……、ケンちゃんの?」
尋ねれば頷かれ、ぼくはどうしようかと迷う。
ぼくが百物語で話した、小さい頃の友達の話。昔いたはずだった存在。だけど、今覚えているのは僕だけ。同じように遊んでいた友人たちは皆、ケンちゃんの存在を覚えておらず、まるで元からいなかったように綺麗に消え去っていた。
ケンちゃんの正体は未だに分からず、薄気味悪いものを感じるが、そこまで気に止められるものではない。ぼくはそう思っていたけれど、兄さんはそうでもなかったんだろうか。
ぼくは一瞬逡巡したが、「いいよ」と頷いた。一度見せたものを、今度は拒む理由なんてない。
話をした時のように、ぼくはジーンズの裾をまくり上げ、傷口を晒す。
幼い頃ついた、左膝の傷痕。ケンちゃんと二人乗りしていた自転車が転倒した時、その下敷きになって出来たものだ。
兄さんは傷痕をじっと見た後「触れていいか?」と尋ねた。
どうしたんだろう。何だか、いつもの兄さんと違うような……? 違和感が頭を擡げるが、ぼくはつい「いいよ」と言ってしまう。ゆうかさんと飲んだ時の酒が、回ったからだろうか。
兄さんの手が、伸びる。かさついた、少し冷たい指先が傷痕に触れ、ぼくの足はついびくりと震えてしまう。
「……ケンちゃんとやらとは、遊んだだけか?」
不意の質問に、ぼくはつい眉を潜めた。そっと目を伏せ、左膝の傷痕を見つめる兄さんが、どんなことを思っているのか、ぼくには分からない。兄さんも、酔っているんだろうか……?
「そうだよ」とぼくは答えた。
まだ兄さんがぼくの家に来る前、よく遊んでいた友人。当時のぼくは、友達と、彼と、日が暮れるまで毎日のように遊んでいた。その記憶はもう、ぼくの中にしかないけれど。
消えてしまった友人は、どこに行ってしまったんだろう。今更ながら、考えた。
「――そうか」
ぼくの答えに、兄さんは安堵の息を吐き出した。そして「すまんな」と傷痕に触れたことを詫び、手を戻す。
「別にいいけど……。でも、どうしていきなり?」
「お前の話を聞いて、気になってな」
兄さんは笑って、机においたグラスを手に持った。からん、とグラスに入っている氷が、涼しげに音をたてる。
「だが、お前に害がないみたいだったから、もういい」
――中には、何処かに連れていかれたまま、戻ってこないのもあるからな。
そう呟く兄さんの声は、珍しく感傷が滲んでいて、何故かぼくの胸を切なくさせた。
酒を呷り、兄さんはここではない何処かへ思いを馳せるように、遠くを見つめている。ごく稀に見せるその顔は、決まって兄さんが昔を思い出しているのだと――ぼくは知っていた。
だけど、それがなんなのか、ぼくは尋ねたりはしない。出来ない。
聞いたって、兄さんがそれに答えることがないと、分かっているから。
ぼくは傷痕を撫でた後、ジーンズでそれを隠し、一気に酒を呷った。ちりちりと胸を刺す痛みは、慣れない酒の味に紛れて、消えていった。
08/01/23
兄さんはさとるくん事件のあれこれを思い出し中。
抱きしめる 和+日織+椿
「それじゃ、少しでも休めるよう部屋に上がりましょうか?」
日織の言葉に促され、一晩護衛をする椿の部屋に向かう途中のことだ。階段を昇っていた和の身体が、不意に後ろへと傾いだ。「わっ」と短く上擦った声を上げ、円を描くように腕を振り回すが、バランスはどんどん崩れてゆく。
和の後ろにいた椿は、倒れてくる和を前にして、咄嗟に腕を伸ばした。
どん、と落ちてくる和を受け止める。衝撃に、椿の身体も多少仰け反ったが、足を踏ん張り踏み止まった。
「和さん、大丈夫ですかい?」
先頭を歩いていた日織が、物音に振り向き、階段を降りてくる。不安を覗かせる彼に「……うん、大丈夫だよ」と和はひらりと手を振った。
「椿くんが受け止めてくれたから、何ともないし。……ごめんね。ありがとう椿くん」
和は椿の腕に収まったまま彼を見上げ、はにかんで礼を述べる。怪我一つない和に、椿も日織同様、ほっと安堵して「ま、これぐらい大したことじゃねーよ」と返した。
「お前軽いし。ひょろっこいし。もちょっと重くてもいいんじゃね?」
それのお陰で、受け止められたのもあるが。椿はそう思う。和や他の女性陣たちならまだしも、もし落ちてきたのが他の男なら、そのまま巻き込まれて床に潰されていただろう。
もし、那須だったら、と考えてぞっとする。いやいや、もし筋肉だったらオレは逃げる。あいつに潰されたらオレは死ぬ。そんな死に方は全くもってごめんだ。
受け止めようと思うのは、和だからこそ。放っとくと、無茶をして怪我でもしそうな心配を、和を見ていると抱いてしまう。
だって、こいつ小さいし。ひょろいし。一番力なさそうだし。
和を抱きしめつつ、彼が聞いたらショックを受けて涙目になりそうなことを並べて考える。そして、殊の外腕の中にある温もりが心地よいことに気付いた。
もちょっと、このままでいてーかも……。
そんな考えが椿の頭を過るが「ほら、和さん。足元に気をつけてくだせぇよ」と日織に手を引かれ、和は呆気無く椿の腕から抜け出した。
離れてゆく温もりに、椿はつい舌打ちを打つ。
和は椿の苛立ちに気付かないまま「うん、ごめん」と足元を見ながら階段を昇っていってしまった。
「ほら、椿さんも早く」
和が階段を昇り切ったところまで見送った後、日織が呼んだ。憮然と、自分の腕を眺めていた椿は、日織を見上げる。
日織は笑っていたが、目は笑っていなかった。
――わざとやりやがったな、あの野郎……。
椿は無言で日織を睨む。日織はそれを受け流し「和さんが待ってますよ」と言い残していってしまう。
ひとり残った椿は、大仰にため息をつくと、苛立ちをぶつけるように、音を立て階段を昇っていった。
08/01/24
やっぱ優勢のはずなのに報われてない椿。
叫ぶ 成和+あやめ
「執事さん執事さん」
「……何だよ」
最早いちいち訂正する気も失せ、成瀬は寄ってくるあやめの方を向いた。これもまたいつものことだが、にやりと笑みを浮かべる表情に、つい身構えてしまう。
あやめとしのぶの双子は、弟よりも姉の方が遥かに手強い。隙を見せたら最後、完膚なきまでに弄り倒されてしまう。
身を固くする成瀬に、あやめは笑みを深くする。まるで面白い標的を見つけた、悪戯好きの子供のようだ。
早くも劣勢に立たされる心持ちになり、成瀬は内心冷や汗を流す。
「今日、和たんとデートなんやって?」
「――――っ!?」
いきなり核心を突かれ、成瀬は思わず噎せる。その反応に「やっぱり」とあやめは嬉しそうだ。
「な、なんでお前が知ってるんだよ!」
「和たんのメール、しぃちゃん経由で見せてもらった」
「……和」
よりにもよってアイツがか。成瀬は舌打ちをして、頭を掻いた。
和としのぶは、仲間内で一番メールのやり取りをしている仲だ。和曰く、他人とは思えないらしい。日織とあやめ、同じような人種が傍にいるが故の苦労仲間だと、成瀬は認識している。
だけど、デートのことまで書くことはないだろう。あれほど内緒にしとけって言ったのに。
「和たんを責めたらあかんよ」
あやめが抑揚のない声で言った。ひたりと成瀬を見つめて「むしろ責められるべきなんは執事さんの方や」と返す。
「オレなのか!?」
成瀬は責められる謂れはないだろう、と突っ込みを入れた。大体、どうして責められなければならないんだ。恋人同士でデートすることの何が悪いのか、理解に苦しむ。
「内緒にデートに行くって考えが駄目や。もっと堂々とすべきやないの?」
「それは……うるせー奴らに見つかったら面倒だしよ。……つーか、お前もその一人なんだが」
「分かっとる」
あっさり認め「やから」とあやめは首を傾げて、にっこり笑った。
「弄くりにきたんよ」
「お前確信犯か!」
叫ばずにはいられない。どうしてこう、和の周りにいる奴らは、一筋縄じゃいかないんだ。日織にしても、あやめにしても。
「うふ」と人を食った笑みを浮かべ、あやめはじりじりと成瀬ににじり寄り、行動を開始する。
「なぁ、今日はどこまでいくつもり? まさか手繋ぐのがやっととか言わない? それとも行き着くところまでもういったん?」
「なっ……。なっ…………!!」
開いた口が塞がらない、とはこのことを言うのだろうか。明け透けな質問に、照れと怒りから忽ち成瀬の顔は赤くなる。
「照れんでもいいよ? さ、白状して?」
「――――出来っかよ!!」
08/01/25
あやめは最強だと思います。
本気を出せば、きっと日織にも勝てる。
願う 純也
叶えられたはずの願いは、雪乃の死によって、取り消された。
日を追うごとに喉元に迫り、移動していた手の痣は、あの時、消えてしまった。始めから、そこに痣なんてなかったかのように。
鏡を覗き込んだ純也は、痣があった場所へと指を滑らせる。
願った願いは、黒闇天でも叶えられなかった。恐らく、すでに願いを叶え命を刈り取られるだけだった雪乃に対して、彼女に生きててほしいと言う純也の想いが入り込む余地は、もうなかったのだろう。
夫を呪いで殺した彼女には、死しか残っていなかった。
――もしも。もしも、もっと早くぼくが雪乃さんと出会えていたならば。彼女が黒闇天に願う前に、何かできることがあったなら。彼女の夫の罪が、もっと早く白日の元に晒されたなら。
もっと。もっと。
取り留めのない思いが、純也の頭を駆け巡る。こんなこと、今更考えたってどうしようもないのに。
もう、雪乃はいない。黒い女の手に引かれ、彼岸へ逝ってしまった。どれだけ願っても、還ってくることはない。
それでも、もし、願いが叶って、あの時に戻れるなら。
――今度こそ落ちゆく彼女の手を掴めればいいのに。
叶いようのない願いだとしても、純也はそう願わずには、いられなかった。
08/01/26
拒む 霧崎×純也
「ちょっ……。待って兄さん」
スーツに掛かった手を、純也が慌てて制する。純也の耳元へ唇を落としていた霧崎は、妙に焦っている弟を怪訝に思う。「どうした?」と身を起こすと、強張ったまま純也がシャツの胸元を、ネクタイと一緒に握り込んでいた。
「まさか、今更嫌だとか拒むのはなしだぞ」
「そ、そんなんじゃないよ」
上擦った声で赤くなり、そっぽを向いた純也は「……別に嫌だって訳じゃないし」と小さく呟く。
「ただ……、今日はちょっと……」
「………………」
胸元を隠す仕草は、まるで何か見られたくないものを隠しているよう。霧崎は、頑なに行為を拒む弟を半眼で見下ろした。髪を掻き、ふうっと一つ息を吐いたかと思いきや、突然拒む手を掴んで引き剥がしにかかる。
「に、兄さん!?」
目を白黒させながら、純也も抵抗する。だが、霧崎は難無くそれを封じ、両手首を純也の頭の上に纏めて押さえ付けた。
「なんだ、もうおしまいか? 子供のお前の方が、もっと骨があったぞ」
仕舞いにはそう言って笑われてしまう始末だ。覚えのある純也は、かつて繰り広げた喧嘩を思い出し、言葉にならない唸り声を漏らす。あの時は、泣いて喚いて、挙げ句に押し入れに閉じ篭って――。それでも兄に勝てなかった、苦く恥ずかしい思い出だ。
「さて、お前が俺を拒む理由を教えてもらおうか?」
霧崎が自由になっているほうの手で、純也のネクタイを器用に解いた。それを後ろへ放り投げ、ワイシャツのボタンを外していく。「兄さん!」と純也は霧崎を睨み、行動を咎めるが意に介されず、どんどん手は進んでいった。
そして、腹部が露になり、そこでようやく霧崎は手を止めた。
肌に散った、青い痣。恐らくは打ち身の痕だろう。
「どうしたんだこれは」
鋭くなった物言いに、とうとう隠し切れないと悟った純也が、渋々白状する。
「間抜けな話なんだけど、編纂室で資料の整理してた時に、バランス崩して脚立から落ちちゃったんだよ……。その時、脚立がおなかにぶつかっちゃって」
腹部の打ち身はそれが原因らしい。おまけに倒れたすぐ側から、ファイルが落ちてきて背中にも同じような痣があると、純也は説明した。
「兄さんが見たら、大袈裟に心配するだろ? だから」
「黙ってた訳か」
霧崎は顎を撫で、純也の腹部を見つめ、そこから退いた。自由になり、目を瞬かせた純也は、掴まれた手首を擦りながら、身体を起こす。もしかして、兄の気に触ったのだろうか。途端に純也は不安になった。
「それなら、仕方ないだろう。今日はお預けだな」
霧崎はからかうように言って笑った。
「……いいの?」
ここしばらく会っていないことから、こうして触れあうのは久しぶりだった。霧崎とて、先程までそのつもりだった筈なのに。もし続ける気だったら、それ以上純也も拒むつもりはなかった。
窺うような視線を向けると「ああ」と頷く。
「腹にそんな大層な痣があったら、目につくし、それに痛むんだろう?」
「う、うん…………」
「なら、純也を痛がらせてするのは、俺としても本意じゃないからな。今回は我慢するさ」
「………ごめん」
謝ると、くしゃりと優しく頭を撫でられる。兄の優しい手に甘えながら、純也は今度する時は何があっても、絶対拒まないようにしよう、とこっそり思った。
08/01/27
純也が乙女過ぎる。
夢見る 純也+ゆうか
「昔のぼくは、兄さんみたいな人になりたいって思ってたんだよな」
ふと漏らしたつぶやきに反応して、ゆうかが「え、そうなの?」と身を乗り出して興味を示す。
純也は頷き、当時のことを思い返しながら、懐かしそうに目を細める。
「兄さんって昔から物知りだったし、落ち着いてて、優しくて……。あの頃のぼくからしてみれば、正に理想の兄って感じだったから。ぼくもあんな風になりたいって、しょっちゅう思ってたよ」
今だって、すぐに思い出せる。風海家に引き取られたばかりの兄の姿を。最初こそは、物憂げな雰囲気を漂わせ、純也が近づくものならば、冷たく鋭い視線で拒絶してきたものだった。だが、距離が縮まってからの兄は、とても優しく一緒にいるだけで、とても嬉しかった。
思い出に浸る純也に「うーん」と何故かゆうかは立てた人さし指を頬に当て、思案顔だ。
「ゆうかさん?」
あまり納得していない様子のゆうかに「変なこと言ったかな?」と純也は尋ねる。
「あ、ううん。そうじゃなくってね」と、ゆうかは首を振って答えた。
「物知りって言うのは納得なのよ。民俗学とか都市伝説のことでは右に出るものはいないだろうし」
「うん。ぼくもそう思う」
「でも、後の二つはどうにも賛同出来ないわね」
「え?」
どういうことだろう。純也は首を傾げた。
「だって、私から見た霧崎先生はそんなんじゃないもの」
そう言って、ゆうかは肩を竦める。
「それってどういうこと?」
「純也くんはさ、先生のフィールドワークしている姿、見たことないでしょ?」
「うん」
「すごいわよー。目的の為にどんどん突き進んでいって、どんな障害でもものともしないの! 見たら吃驚するわよ」
「そ、そうなの?」
あまりの力説具合に、思わず純也は後ずさる。そんな純也に猛攻をかけるように、「そうよ」とゆうかの言葉は続いていく。
「それに、優しいのは純也くん限定よ。げ・ん・て・い!」
「そうかな……?」
どうにも腑に落ちない。純也から見た兄は、自分が言った通りの人なのに。ゆうかの考えとは、大きな隔たりを感じた。
「でも、本当に優しいと思うけど……」
「純也くん限定でねー」
さり気ない説得も、伝わらない。ゆうかはなおも言い募ろうとする純也を見て、額に手を当て大きくため息をつき「純也くんは、先生に夢見すぎよ」と呆れたように苦笑した。
08/01/28
兄にとっては、弟は数少ない心開ける存在ですから。
自然と優しくなってしまうと思うのです。
突き立てる 椿+日織
「はい、そこまで」
いきなり腰へ何かを突き立てられ、ソファから立ち上がった椿は身を固くした。一瞬、刃物で刺されたのかと錯覚するが、ぐりぐりと突き刺す痛みは血を齎す類のものではない。
「な…に……すんだよっ!」
怒鳴って、振り向きざまに腰に突き付けられたものを手で払った。「おっと」と椿の手を避け、後ろに立っていた日織が、持っていた扇子で己の方を叩く。
穏やかな笑みは常と変わらない。変わらないが、何処か凄みがあった。もしも、この場に和が居たなら、間違いなく怯えている。
日織は椿を見て「何って……、和さんに不埒なことをしかけた虫を追い払おうとしただけでさぁね」と臆面もなく言った。
「虫って……オレのことかよ」
「他に誰がいるんで?」
「………」
害虫扱いされ、椿は眉間に皺を寄せ、日織を睨む。
日織は不埒なこと、と言っていたが、椿はしたことは、先程まで疲れてソファで眠っていた和の頬をそっと撫でただけのこと。そこにあるのは、ただ純粋に関係ない人間の為、奔走している和を労る気持ちしかなかった。
くすぐったさに目を覚ました和も、その行為を厭っている様子はなかった。隣に座っていた椿を見て、照れくさそうにはにかんだ。そのまま、言葉少なに慌てて居間を出ていったのは、多少の恥ずかしさもあったからなんだろう。決して、怖がってなどいなかった。
「……アンタ、考えすぎなんじゃね? 何でもかんでも、アイツになんかしてたらそれだけで危険だって思うのか?」
穿ち過ぎる思考だろう、と思いながら椿は言った。
「そんな、全部疑ってたら、いつかなんにも信じられなくなるぞ」
「いいんですよ」
すぐに、日織がはっきり言葉を返した。迷いない、これが正しいのだと信じて疑わない声で。
思わず、椿は絶句する。そんな彼を余所に、日織は淡々と言った。
「俺が今信じられるのは、和さんだけですから」
「日織、お前」
目を見張り、凝視してくる椿を見て、日織は笑った。
「あの人を信じていれば、後はどうだっていいんですよ。――椿さん、あんたもね」
そう信じて疑わない日織の表情は、どんな言葉でも言い表せるものではない。どこか狂気じみた笑みと言葉を突きつけられ、椿の背筋に寒気が走った。
08/01/30
何と言うか、日織はある意味世界が狭まったんじゃないかと思ったり。
和のことしか見えてなさそうだし……。
あくまで、私の主観ですが。
振り返る 成和 おまけルート後
帰り道に選んだ通りは、大通りよりも離れ、薄暗く感じた。人の数も疎らで、一定間隔に設置されている街灯が、ぽつりぽつりと道路に灯りを落としている。
「…………?」
成瀬は、和の様子がおかしいことに気付いた。さっきまでは普通に歩いていたのに、どうしてか腕にしがみついて離れない。そして、身体を震わせ、びくびくと怯えながら後ろを振り返っている。
「……どうした、和?」
そっと尋ねると、ぱっと和が成瀬を見上げた。泣きかけの目は潤み、一層しがみつく力が強くなる。
「あ、あの、あのねっ」
「ん?」
「……何か、着いてきているみたい、誰かが」
「はぁ?」
不審者か?
成瀬は後ろを振り返り、睨みをきかせるが、そこには誰もいないので、空振りに終った。
「いないの?」
なおも聞いてくる和に、成瀬は「いないぜ」と緩く首を振った。
忽ち、和の顔色が青くなる。
「うう、……またかなぁ。いやだなぁ……」
「アレ、か?」
成瀬の言葉に、和はこくりと頷いた。
洋館で起きた殺人事件を、霊との会話で解決に導いた和は、それからも度々幽霊の類を見てしまうようになったらしい。本人は隠しているつもりらしいが、成瀬から見ればバレバレだった。何もないところで大袈裟に驚いたり、見て見ぬフリをしたり。何も知らない人間がそんな状況を見たら、和を変人扱いするだろう。
今、正にその霊感が発揮されているらしい。成瀬には何も見えないが、和がいるといるのだからいるのだろう。あの時、犯人が捕まるまでの過程を見て来たのだから信じざるをえない。
小動物のごとく震える和を哀れに思いながら、そっとその肩を抱き寄せる。「成瀬くん?」と見上げる不安そうな和に、成瀬は優しく笑いかけた。
「オレがいるから安心しろ。とりあえず大通りまで出るぞ。その方が、お前も安心出来るだろ?」
「うん……」
今まで強張っていた表情が緩み、和がほっとしたように笑う。
成瀬は振り向くなよ、と念を押し、和の肩を抱いたまま、歩き出す。
それでも怖いのか、ぎゅっと服を握りしめる和を見て、オレがしっかりしなきゃな、と成瀬は改めて思った。
08/02/03
椿(成瀬)×和を書くと、毎度のごとく甘酸っぱくなるのは仕様だと思いたいです。