君は笑う。僕は喜ぶ。
先日のあの時から、どうにも腹の虫が治まらない。苛々して、落ち着かず、その原因に思い当たっては、またぶり返す。
なんて悪循環だ。
「……あんまり固執すべきじゃないって、承知してるんですけどね」
道明寺は小さく呟く。
警視庁から出てきた純也は、そのタイミングを見計らうようにして立っていた道明寺の姿に、思わず後ずさった。
「ひどいなぁセンパイ。人の顔見るなり、その反応はないでしょう。傷付くっすよ」
そう言いつつ、道明寺はいつもと変わらないへらへらした笑みを浮かべる。
「傷付く」などと言っても、その表情や戯けた口調でとてもそうは見えないらしく、純也は疑うような眼を向けていたが、すぐに「すいません」と頭を下げる。
「いきなりだったから、つい。……あ、そうだ」
思い出したように純也が言葉を付け加えた。
「今、時間あいてますか? 一応僕たちがやっていることを、報告しておきたいんですが」
道明寺は手を顎に当て、探るように純也を見る。だが、すぐに笑って「いいですよ。近くのファミレスでいいっすよね」と純也の腕をとった。
気のせいか、いつもより力が感じられなかった。
ファミレスに着いて、道明寺と純也はコーヒーを頼む。それが運ばれてくるまでの時間を惜しむかのように、純也はさっそく持っていた鞄から書類を取り出し、道明寺に手渡した。
「これは……?」
「デリバリや通販会社の一覧と電話番号です。誘拐現場から近い一帯をピックアップしました」
そして純也は、斉藤家の家宅捜索を終えてからやってきたことを包み隠さず話す。
『鬼』は煙草の火を怖がる――。
そして、斉藤由香利は二年前、火事によって家と両親を失った――。
純也や小暮はそのことから、斉藤由香利が『鬼』なのではないかと疑っていたらしい。だが、それは家宅捜索の際、道明寺が彼女の前で煙草を吸ったことで違うと立証されている。彼女は煙草の火を見ても、嫌な顔一つせず、灰皿を道明寺に差し出していた。
それでも純也たちは諦めなかったらしい。『鬼』を探す方法を『煙草の火を怖がる』から『人が来ると逃げる』という弱点に視点を変えて、捜査していたらしい。
そして、導き出した方法がこれのようだ。かなり大量の電話番号が印字された書類を眺め、道明寺はうんざりしたように「大丈夫なんすか……?」と尋ねる。
「こんなにたくさん。センパイたちだけじゃ、骨が折れるでしょう?」
捜査一課なら、捜査員を導入してあっという間に調べられるだろうが、純也たちはそうもいかない。多大な時間と労力を要するだろう。
「人の命が掛かってるんですから。面倒くさいとかそう言うこと以前に、やることをやるのは警察としては当然のことです」
純也が生真面目に答えた。
「もしかしたら、僕たちのやっていることが切っ掛けになって、事件が解決するかもしれない。だから――やるだけです」
必ず、誘拐された斉藤祐介を助け出す――。
純也の声音は、そんな固い決意を込めたように道明寺の耳へと届いた。その面立は、今行動を共にしている男たちに似ているような気がした。
どこまでも、真面目で、前しか見ていない。
お待たせ致しました、とウェイトレスがコーヒーを運んでくる。書類をテーブルに置き、道明寺はコーヒーを手に持って、向いに座る純也を見遣った。
いつもはカフェオレを頼む彼が、コーヒーを飲む姿は、出会ってから初めてだった。砂糖も入れず、苦いコーヒーを飲む純也の目元は、薄く隈が浮いている。
あまり休んでいないのだろう。斉藤家から別れてから、どれだけ寝てないのかしらないが、純也は明らかに疲れているようだった。
「センパイ……。ちゃんと休んでます?」
「え?」
「あんまり無茶して倒れないでくださいよ。印南警視じゃ、頼りにならないんですから」
全く上司――本当は違うのだが――を当てにしていない道明寺の言葉に「はは」と純也は力なく笑って、口に運んでいたカップをテーブルに置いた。両手でカップを包み、琥珀色の水面をじっと見つめる。
「平気です。これぐらいのこと、祐介君の置かれている状態を考えたら、大したことありません」
「ですがセンパイ――――」
「僕は真実を知りたいんです」
純也が道明寺の言葉を静かに遮る。
「この事件は、思った以上に多くの人の思惑や感情が絡んでいる……」
指を組み、純也はそこに顔を埋めた。
「だけどそれを解いていけば、きっと真実が見えるんです。どうしてこんな事件が起きたのか。それを知る為にも、僕は真実を知りたい」
「………………」
どこまでも真摯な純也に、道明寺は思わず背凭れに身体を預け、空を仰いだ。純也から滲むのは、真実への執着。これで、手柄に固執しないのだから、大した聖君だ。
あのおっさんに本気で爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ。道明寺は印南の顔を頭に浮かべ、そう思った。
まぁ、無理だろう。権力や手柄ばかりに固執するバカに飲ませるものなど何もない。
「……すいません。心配させてしまって」
組んだ指を解き、純也は疲れた表情で笑った。
「でも、必ず突き止めてみせますから。僕たちの為に色々取りはからってくれた道明寺さんの為にも…………」
「俺のことは気にしないでくださいよ。こっちはこっちで勝手にやっていることなんですから。……それよりも」
道明寺は軽くテーブルへ身を乗り出した。手を伸ばし、純也の目元に浮いた隈をそっとなぞる。自然な動きに、反応すら出来ず、純也はぱちぱちと眼を瞬かせ、道明寺を見つめる。子供っぽさが残る表情に、道明寺は思わず笑ってしまった。
「ちゃんと休んでください。今、センパイに倒れられたら、俺も困っちゃいますよ。せっかく頼りにしているんですから」
「道明寺さん…………」
純也がふわりと優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
初めてみる笑顔に「ああ、センパイはそうやって笑ってた方が何倍もいい」と掛け値なしに言った。今まで警戒され続けたせいもあって、ようやく笑いかけてくれた純也に、道明寺も自然な笑みがこぼれる。
あれだけ治まるところを知らない、腹の虫は、いつの間にか静まっていた。
現金なものだと、道明寺は内心自嘲しつつ、それでもいいか、と思い直す。
「――せっかくですから奢りますよ。ホットサンドで、いいですよね?」
道明寺はテーブルの端に置いてあったメニューを手に、笑った。
らしくないと思うが、初めて純也の笑顔を見れたのだから、よしとしよう。