君に触れたい5題

4 柔らかそうな唇



 テレビ局の廊下で、成瀬は双子を見つけた。これから仕事だろうか。移動中なのかもしれないと、手を軽く上げて挨拶だけに済まそうとした。
 だが双子は顔を見合わせるなり、成瀬に向かって一直線に突進してくる。驚く暇もなく、左腕をあやめ、右腕をしのぶに捕まれ、そのまま双子の控え室まで連行されてしまった。
「なんだよいきなり! 離せ!」
 成瀬は怒るが、双子は意にかえさないまま、強引にソファに座らせた。そして双子は同じタイミングで向いのソファに腰を下ろし、揃って成瀬を大きな眼でじっと見た。
「ちょっと、聞きたいことがある」
 あやめが凄みをきかせた低い声で言った。身を前に乗り出し、机に緩く握りこんだ手でつく。いつものぼんやりとした様は失せ、鋭い光を光らせた眼を細める。
「あんた、和たんと進展したらしいやないの」
「………………な、何の話か分からねーな」
 咄嗟に成瀬はとぼけたが、内心冷や汗を掻いていた。あやめの言葉に心当たりがあるからだ。しかし、ここで双子――特にあやめの方だ――に心中を悟られたら、あまり喜ばしくない状況に陥ってしまう。難しいだろうが、それだけは避けたい。
「冗談はあかん」
 刑事ドラマさながらに、あやめがふっと眼を伏せ、ゆっくり頭を振った。
「しのぶがな言ってたんよ。この前和たんと電話しとった時、様子がおかしかったって。な、しぃちゃん」
 同意を求めるあやめに、しのぶが力なく頷いた。
「……そん時の電話は聞いたらすぐ分かるほどに動揺しとった。脈絡もないことばっかり言っとったし。どうも何かあったって、すぐ勘付いたわ」
 そうしてしのぶが探りを入れたところ、あっさりと異変の原因となる存在を突き止めることが出来たらしい。
「それがあんたや」
 身を起こし、あやめは立てた人さし指を成瀬に突き付けた。
 もう、喜ばしくない状況に陥ってしまったようだ。居心地の悪さを感じながら、成瀬は落ち着きなくソファに座り直す。その無意識の動揺から出た行動が、さらなる追求の幕開けとなるとも知らずに。
 あーあ、と成瀬が見せてしまった隙に、しのぶが気の毒そうな声を漏らした。眼を向けると、横を向いて成瀬の視線から逃げる。控え室に連れ込んだ時こそしのぶは関わっていたが、それからは乗り気じゃなかったのだろう。さっきの証言も躊躇いがちに言っていた。
 お前の姉ちゃんなんだからどうにかしろよ。成瀬は言外にそう滲ませてしのぶを睨むが「こっち見る」と強制的にあやめのほうを向かせられた。逃げられないよう、頬を挟まれ固定される。
「で、何したん」
 頬を挟まれたまま顔を引き寄せられ、成瀬とあやめは至近距離で見つめあう格好になる。近すぎるあやめの視線に射すくめられ、思わず成瀬は「怖ぇよ、お前」と及び腰になった。逃げようと頭を引くが、あやめの力は思ったより強く、かなわない。
「なんでお前に言わなきゃいけねーんだよ」
 抵抗する成瀬に、ぽつりと気の毒そうな声でしのぶが言った。
「成瀬さん、吐いたほうがええ。じゃないと色々されるし、ひどい目にあいたくなかったら、言って楽になったほうがよっぽどマシやで」
 現実を物語る重い言葉が、成瀬にのしかかる。それを裏付けるが如く、あやめの眼光鋭さに身の危険を察知して、成瀬は慌てて記憶を辿った。
 心当たりがあるだけに、すぐ思い出せる。
 成瀬は恐る恐る「それって三日前のこと、だよな」と言った。
「そう」とあやめが頷く。
 三日前ならば、もしかしなくてもあのことだろう。そう思うと同時に、それがすぐに双子に伝わってしまっている事実が頭に痛い。
「思い出したんなら、早く言う」
「分かった。分かったから! いい加減離してくれ。首が疲れるんだよこの体勢」
 あやめと至近距離で見つめあうのも、精神的に摩耗しそうだ。心臓に悪い。成瀬は心から懇願した。


 ようやく解放され、誤魔化すように軽く咳払いをしながら、成瀬は前屈みなって、膝上に置いた手を組んだ。じっと言葉を待つ双子の視線から顔を俯かせて逃げ、やっとの思いでぽつりと呟く。
「……したんだよ」
「声が小さい」
 すかさずあやめに駄目だしされてしまい、成瀬は自棄になって「キスしたんだよキス!」と怒鳴ってしまう。
「へぇ、意外と早かったなぁ」
 しのぶが目を丸くした。
「うち、あんたらのことだから、もっと遅いと思ってた」
「うちも」とあやめが同調してこくこく頷く。
「お前らな……」
 好き勝手な言い分に、顳かみが引き攣ってしまう。だが、そんなことはない、と真っ向から否定も出来なかった。成瀬自身、今の時点でそこまで進展出来ると思っていなかったからだ。
 ふとした切っ掛けで実現した和とのキス。唇同士が触れあうだけの、ほんの短いものだったが、すごく感動したのを今でも覚えている。和は身体をがちがちに固まらせていたり、した後もしばらく耳まで赤い状態が続いていた。初々しい姿に、成瀬はかわいいと思っていた。
 だが、そこまで詳細に双子に話す気はない。火に油を注ぐ愚かな行為になってしまう。
 それでもその時を思い出し、自然と締まりのない顔になってしまう。緩む表情の成瀬に、あやめが冷ややかな目をした。
「で、その切っ掛けって何」
「それも言うのかよ」
「言わんとここから出さん」
 至極真面目に言うあやめは本気の眼をしていた。しのぶも早く言え、と視線で訴えている。
 どうしていつもオレがこんな恥を晒さなきゃいけねーんだ。そう思いながら、成瀬は渋々キスの切っ掛けを告白する。
「和の」
「和たんの?」
「…………唇が柔らかそうで。触ってみてー、って思ってたらつい」
 和の唇に、自分のそれを重ねてしまっていた。殆ど無意識の行動で、成瀬自身も驚いたぐらいだ。
「………」
 成瀬の告白に、双子は顔を見合わせた。そして、同時に乾いた視線を成瀬に向ける。
「オヤジや」
「やらしいオヤジがここにおるわ」
 口々に言う双子に成瀬は拳を震わせて「誰がオヤジだ!」と大声で叫んだ。
 だから言いたくなかったんだ。そう呟く成瀬の表情は、自分でも自覚していたのか、真っ赤に染まっていた。