君に触れたい5題

1 寄りかかりたくなる背中




 成瀬の部屋にあるテレビの前は、和の指定席だ。とは言え、普段はテーブルから成瀬とはす向かうように和は座っているが、館で知り合った人たちが出てくる番組がテレビに流れると、いそいそとテレビの前に移動する。せっかく知っている人が出ているのだから、じっくり見たいらしい。
 そのうちの一人は、実物がここにいるんだけどよ。成瀬はそう思いながら、和の好きにさせている。テレビを見ている時の和の反応が、面白いからだ。番組に集中し過ぎているせいで、驚いたり喜んだり、感情を大袈裟に表して、和を見ている成瀬も飽きない。
 今日和は、あやめの出ているドラマに、眼が釘付けになっている。テレビの画面には、いつものぼんやりしている姿からは想像つかない快活な少女を、あやめは演じていた。はっきりと大きな声で台詞を口にしているのを見ていると、負けられない、と成瀬は思う。
 館の一件から、じわじわと出演依頼が多くなっているが、それは殺人事件に巻き込まれた若手役者、としての話題性からきているものだろう。きっと自分が役者として成功する為に、勝負はこれからなのだと思っている。注目されている状況に流されず、仕事をこなして力をつける。事件への関心が薄れてしまっても関係なく、役者としてやっていく為に、しっかり足場を固めていく時期だろう。
 年も近く、同じ立場であろうあやめがテレビに出ているのを見ると、頑張らなければ、といつも気持ちを確かめていた。こうして、真剣に見ている人間がいるなら尚更だ。
 成瀬は行儀よく正座して、テレビに見入る和にふっと頬を緩めた。せめて、助けてくれた和に恥じないような演技を続けていきたい。
「あやめちゃんすごいね」
 テレビに視線を固定したまま、和が率直な感想を述べた。ドラマの展開にのめり込み、自然と握りこぶしを作っている。
 本当、こいつの反応は役者冥利に尽きるよな。テーブルに頬杖をついて成瀬は「そうだな」と口元に笑みを浮かべた。
「いつも思うけど、普段のあやめちゃんと全然違うし。別人みたい」
「まぁ、あいつの演技力って相当なものだからな」
 その一片は何度も見てきた。けれども。
「オレも負けねーけどな」
 こっちだって調子はいい。前よりも肩の力が抜けて、失敗は減った。駄目だしされる回数も少なくなった。もちろんされたとしても、無駄にはしない。監督や先輩役者の意見を聞き、飲み込んで自分のものにしていくように心掛けている。だって和が見てるんだから、失態は犯したくない。こうして全力で取りかかっていくうちに、色んなものが身についていく実感がしていた。
「そうだね」と成瀬の言葉に、和が振り向いた。
「最近僕の大学でも、成瀬くんのこと、よく話題に出てくるの聞いてるよ。ファンもいるみたいだし」
 和が嬉しそうに微笑んだ。
「それって成瀬くんが頑張ったからだよね」
 まるで自分のことのように喜ぶ和に、成瀬は「……それほどでもねーよ」と照れくささからそっぽを向いた。小さく笑う声が聞こえ、心情が読まれていると分かり、さらに恥ずかしくなる。
「オレのことはいいから、ドラマに集中しろよ」
 成瀬は和を見ないまま、追い払うような仕草で手を振った。横目で、ちゃんとテレビのほうへ顔を戻す和を確認し、成瀬も視線を戻す。和は笑っていたが、大抵成瀬が照れてしまうのは、和の無自覚な言動のせいだ。あけすけで、嘘がない分攻撃力が強く、心臓に悪い。たまにはこっちの気持ちを分かってもらいたいぐらいだった。
 体育座りで丸まっている和の背中を見て、ふと成瀬の脳裏にいじわるな考えが過る。思わず口元を上げて笑うと、さっそく立ち上がって行動に移した。
 テーブルを、和から離す形で音を立てないよう持ち上げ下げる。そして、和の後ろに座り、彼の身体を足で挟むように後ろから抱きしめ、背中に寄り掛かった。
 びくり、と和の肩が竦む。
「な、成瀬くんっ!?」
 上擦った声で和は驚きながら言い、あたふた左右に首を振る。そして何故かきっちり抱き締められた状態に「ええっ!?」と混乱を深めた。
「そんなに驚くなって」
「驚くよ! いきなり抱きつかれたら!」
 成瀬の腕に閉じ込められ逃げられない和は、あっという間に耳まで真っ赤になった。そして「どうしたんだよ」と理由を求めてくる。怒る前にどうして、と尋ねる和をらしい、と成瀬は思いながら答えた。
「いや、癒しが欲しくて」
 本当は和のあけすけな言葉に対しての意趣返しなのだが、それは言わないでおく。言ったら、今度は怒られそうだ。
「オレもさ、忙しいんだよ。休みも減って、和と会える時間も減ったし。だからこうして和分を補給して癒されてんだよ」
「和分って……。そもそもこれ、癒しになるの?」
 抱き締められてるだけなのに。呟きながら和は恥ずかしそうに俯いた。信じていない様子に成瀬は「すげーなってるって!」と和の肩に顎を乗せる。ひゃ、と和の小さな悲鳴が聞こえた。
「いいから、お前はテレビ見てろって。オレはオレで癒されてるから」
 促す成瀬に戸惑いながら頷き、和はテレビを見るが、身体が落ち着かずそわそわ揺れる。寄り掛かっていると、その揺れはもちろん、背中の温もりも伝わって、心地よかった。
 ちょっとからかっただけのつもりだったけど、ハマりそうだ。
 和には悪いが、これからテレビを見る時のオレの指定席は決まりだな。そう結論付け、成瀬は和を抱き締める腕に力を込めた。