「セーンパイっ、これ見てくださいよー」
羽黒さんが満面の笑みで編纂室へ戻ってきた。昼休みを取っているぼくの机に近づき持っている写真を見せる。
「交通課のコから貰ったんです。かわいいでしょう?」
「へぇ……。本当ですね」
羽黒さんが貰ってきた写真には、産まれて間もない仔犬たちが写っていた。大きなクッションの真ん中で四、五匹の仔犬が寄り添って丸くなっている。
最近血みどろな惨劇ばかり見てきたので、愛くるしい仔犬らは見ていて和む。渡された写真を覗き込んだ顔がつい緩んでしまった。
「つい先日産まれたばかりなんだそうですよ。他にも何枚かあったんですけど、僕があまりにもかわいいかわいい言ってたら、じゃあ一枚どうぞって」
椅子に座るぼくの後ろから、同じように写真を覗き込んで、嬉しそうに羽黒さんは言った。人懐っこい笑みに茶色く丸い目を輝かせる様子は、写真に写っている仔犬を彷彿させる。きっと、この写真を撮った人も、同じことを思ってあげたんじゃないかと考えが過ぎった。
「かわいいですよねー。もふもふですよねー」
触ってみたいなー、と羽黒さんははしゃぐ。もしここで賀茂泉警部補がいたら「うるさいわね。静かに休むことも出来ないのかしら」と絶対零度の瞳で睨まれそうだ。しかし、当人は幸運にも外へとランチを食べに行っている。羽黒さんに関しては同じく口煩い小暮さんも、バイト中の綾さんが気になるらしく、席を外していた。
滅多にない機会。小暮さんはともかく、賀茂泉警部補がいないのをいいことに、ぼくももうちょっと癒されていたくなった。
「センパイって仔犬とか好きなんですか?」
「ええ、好きですよ。昔は小鳥を飼ってた時もありましたし」
その時小学生だったぼくは、カゴに放たれ囀る小鳥を時間を忘れ、眺めていた。そんなにじっと見ていたら怯えるぞ、と兄さんに苦笑とかされたっけ。
当時の思い出を語ると「センパイにもかわいい頃があったんですね」と羽黒さんが言った。
「ぼくもこういう小さなの好きなんです。産まれたばっかりのとか特に」
にっこり笑って彼は続けた。
「産まれたばっかりで、あったかくて。本当、生きてるって言うんですか。そんな感じ」
――なんだか、うらやましいな。
小さく呟かれる言葉に、ぼくは軽く目を見張った。出そうとして出したんじゃない。思わず零してしまった羨望を含んだ声。いつもの明るさとは違うそれに、ぼくは戸惑う。
「羽黒さん――?」
振りかえるぼくの首筋に、彼の指が這うように触れた。思いがけない冷たさに、びくりと身体が跳ねる。
驚いたぼくの手から写真が落ちて、床を滑った。
整ってる羽黒さんの案外顔が近い距離にあって、肩を引く。それでも、彼の伸ばされた手は首筋に触られたまま。
羽黒さん、と呼ぼうとした口は開いても、声は出てこない。じっと驚きの目で見返すぼくに、羽黒さんはいつもと変わりない風に言う。
「センパイも温かいですね」
「……っ」
「さっきよりも脈が速くなってる。やだなー、僕とセンパイの仲ですし、そんなに緊張しないでくださいって」
緊張しないで、って。こうして触られてるのに、緊張するなと言うほうが難しくないか。そうだ、そもそもどうしてこんな状況になったのか。
考えて、首筋に触れる手を意識してしまう。止めてください、と言えば済みそうな話だが、何故か言葉が出てこなかった。
羽黒さんがじっとぼくを見つめ、そして――。
「なーんて、センパイを犬扱いしちゃダメですよねー」
と、呆気なく手が離れた。ごめんなさい、と茶目っ気たっぷりに舌を出し、ぼくに謝る。
「あー、ここに小暮先輩がいなくて良かった。もしいたら『風海先輩に何をしている羽黒!』って怒られそうですもんね」
小暮さんの口調を真似して言ってから、羽黒さんは胸を撫で下ろし、床に落ちていた写真を屈んで拾う。簡単についた汚れを手で払い「机の上にでも飾ろうかな」と蕩けるような笑みを浮かべていた。
ぼくはそっと首筋に手を伸ばした。さっきまでそこに触れていた羽黒さんの指の感触がまだ残っている。
彼の手は、とても冷たかった。まるで、冬の空気に晒されたような。
だから、なんだろうか。
この世に生を受けたばかりの存在を羨ましい、と言った羽黒さんが、遠い存在に思えたのは。
速くなった心臓が落ち着かない。ぼくは無意識に感じた冷たさを消そうと、首筋を擦る。
そうしないと、浮かんだ不安が消えそうになかった。