おにいちゃんと呼ばないで




「今抱えている仕事の状況はどう? 何かオカルトっぽいこととか起きてたりする?」
 好奇心を胸一杯に膨らませて訊ねるゆうかに、純也は明らかな困惑を浮かべ、「ええっと……」と言葉を濁す。肯定とも否定とも取れない、どっち付かずの反応で、ゆうかが満足出来るはずもなく「ねねね、教えてよ!」と尚も純也に詰め寄った。
 純也が度々、須未乃大学の霧崎の研究室に訪れるようになってから、しばしばこういう光景が見られるようになっていた。純也が配属されている警察史編纂室は、ゆうかが追い求めているオカルトじみた事件を抱えることが多い。そのせいか、ゆうかは、純也と研究室で顔を合わせる度に、「今はどんなことをやっているのか」だとか、「何か私にも出来ることはないか」だとか好奇心と期待に満ちた目で聞いてくる。例えば、今みたいに。
 一方の純也は、決まって困った顔をする。
 当たり前だろう。刑事がところ構わず、事件の内容を気安く喋るものではないだろうし、何より、話すことで誰かを事件に巻き込む危険性を、純也はよく知っている。
『確かにゆうかさんのお陰で、解決の糸口を見つけられたこともあったけど、同時に危険な目に合わされたこともあったから』
 そう項垂れて話す純也を思い出し、「それぐらいにしておけ、間宮君」と机に着いていた霧崎は、読んでいた本を閉じると、話に割り込んだ。
「えーっ!」
「えー、じゃない。純也が困っているだろう? 程々にしておかないと、ここから追い出すぞ」
 流石にゆうかも、師匠と尊敬している霧崎の言葉には反論出来ない。むくれて頬を膨らませながら、「……はーい」と呟く。わずかに滲む不機嫌な響きは、最後の抵抗のように聞こえた。
「ごめんね、ゆうかさん」
 すまなそうに純也はゆうかの顔を覗き込んだ。
「でも、また助けが必要になったら呼ぶから。ね?」
「……本当?」
「いつになるかは、わからないけど」
「ちょっと引っ掛かるけど、まあいいわ。じゃあ、約束だからねっ!」
 ゆうかは小指を立てた右手を、純也に上げて見せた。純也は瞬きし、「はいはい」と苦笑しながらそれに自分の小指を絡ませる。
 ぶんぶんと力任せに指切りげんまんをするゆうかと、それに付き合っている純也を霧崎は見つめる。
 そして思っていたことをぽつりと呟いた。
「…………そうして見ると、兄妹みたいに見えるな」
「え?」
 指切った、と約束を終えた二人が、一斉に霧崎を見た。
「きょうだいって?」
「私たちが、ですか?」
「ああ」
 霧崎は頷いた。
「髪型が似ているし、こっちから見てると、妹の我が侭に振り回される兄、って言うのがしっくり来る感じがする」
「そうかなぁ……」
 自分の前髪を摘み、純也は首を傾げた。
「僕はあんまりそう思わないけれど。それに髪型が似ているだけで兄妹みたいって言うのも、突拍子すぎだよ」
「……でも、私、純也くんがお兄さんって言うのもいいと思うけどなぁ」
 眉を潜める純也とは対照的に、ゆうかは満更でもないように口元を上げて笑う。
「どうして?」
 不思議そうに純也が訊ねた。
「だって、純也くんがお兄さんってことになったら、自動的に霧崎先生もお兄さん、ってことになるでしょう?」
「……まぁ、そうなるね」
「そうなったら! 私はオカルトな事件を取り扱うお兄さんと、都市伝説に造詣が深いお兄さんがいっぺんに出来て、正に理想的な環境が出来るって訳! 素敵だと思わない!? ああー、それっていいかも!!」
 舞い上がるゆうかに、「いや。十分今の環境でも理想的だと思うけど……」と純也の尤もな指摘が入る。
 話の腰を折られ、ゆうかはきっと純也を睨んだ。
「もう、そんなに揚げ足取らないでよ! 純也くんや霧崎先生の事、お兄ちゃんって呼んじゃうんだから! お兄ちゃーんって!」
「ちょ、それは……!」
 子犬みたいに戯れあい騒ぐ二人を、頬杖をついて見ていた霧崎は、身体を上げ「……さっきのはなしだ」と言った。
「へ?」
「兄さん?」
 いきなりの前言撤回に、純也とゆうかは目を丸くする。そんな二人に気難しく腕を組み、霧崎は言う。
「俺の事を兄と呼ぶのは、後にも先にも純也一人だけで十分だからな。だから、さっきの兄妹発言はなしだ」
「………………」
 純也の顔が赤くなる。言葉に詰まって口をもごもごし、ゆうかはやってられないと言わんばかりに叫んだ。
「ノロケにしか聞こえませんよそれ!」