Repeat after me.

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 クリスマスも終わり、冬休みが始まった。
 昨夜は堂島家で楽しく皆と過ごした陽介は、昼近くになってもベッドで惰眠を貪っていた。両親はもちろん、クマも仕事でジュネスに行っているお陰で、睡眠を邪魔する輩はいない。
 ここ数日はクリスマスセールで忙殺され、ゆっくりする間もなかったのだ。そのせいもあり陽介は、こうして寝られる時間が享受されて幸せを感じる。それが目の前に迫っている歳末セールに備え、父親からお情けでもらった束の間のものだとしても。
 いっそこのまま一日眠っていてえ。布団に包まれ柔らかな温もりに、重い瞼は開きそうにない。肺から大きく息を吐き、寝返りを打つ。とろとろと浮かびかけた意識が眠りに沈んでいきそうだ。
 しかし意識を手放しかける寸前、枕元から眠りを邪魔する音が聞こえてくる。携帯が震え、着信を告げていた。
 マナーモードにしとけばよかった。無理矢理起こされ、陽介は不機嫌に顔を顰めながら、枕元の携帯を手探りで掴んだ。
 眉間に皺を寄せ、フリップを開き相手を確認する。画面に出ていた名前を認めた瞬間、陽介の眠気が一気に吹き飛んだ。
「橿宮!? って――ああーっ!」
 思いがけない相手に驚き、陽介はつい電源ボタンを押してしまった。当然着信は切れ、うるさく鳴っていた携帯は静かになる。
 青ざめ陽介は慌てて起き上がった。跳ね飛ばした布団がベッドから落ちるのにも気が回らず、俺のバカ、俺のバカと連呼しながら日向に電話をかけ直す。
 待ち構えているようなタイミングで、着信はすぐに繋がった。耳に押し当てた携帯から、おかしそうに日向の笑う声が聞こえてくる。
「一瞬着信拒否されたかと思った」
「する訳ねーだろ……」
「ごめん。寝てたんだよな。声が寝起きだ」
 そう言って日向はまた笑った。さっきまで寝てただろう陽介の状態を察知しつつ、それをわかってからかっているのが声音で読める。影の件からたまに日向は意地悪な面をこうして覗かせる。悪くはない、とてもいいことだと思うけど。
「……お前さ、俺をおちょくる為に電話掛けたんじゃねーよな?」
 立てた右膝に頭を凭れ、陽介は寝癖で跳ねた髪を弄りながら口を尖らせた。
「そうだったら泣くぞ、俺は」
「泣かなくていいよ。電話したのはちゃんと理由があるから。花村さっきまで寝てたってことは今日暇なの? ジュネスは?」
「今日は何もなし。年末のセールに備えて休んどけって親父がな……」
 自分で言っておいて、陽介はセールの響きに二三日後の忙しさを予感し黄昏れた。去年もそれはもう大忙しの毎日。大晦日もずっと働き詰めで休めるときなんてなかった。それが今年も来るなんて。
「……大変だな」
 携帯の向こうで空気を読んだのか、慰めるように日向が言った。
 切実な気持ちで陽介が返す。
「橿宮、年末セールん時バイトしねえ?」
「わかった。で、今日は暇なんだな」
 念を押して確かめてくる日向に「ああ」と陽介は肯定する。それを聞いて「じゃあさ」と話を切り出した。
「これから会わないか。二人で」
「……え?」
 携帯を持つ陽介の手が震えた。
「今日菜々子は検査入院でいないし。遼太郎さんがお前に世話ばかりかけたし、少しぐらい自分のしたいことをしろって言ってくれたから……甘えることにした」
 だから、今日――会いたいんだけど。
 ゆっくり区切られて告げられる誘いの言葉に、陽介の心拍数が急上昇していく。頬が熱くなって、鏡で見たら真っ赤だろうなと頭の片隅で思う。
「――行く」
 考えるまでもない。陽介はすぐに答えた。
 携帯の向こうで「うん」と弾んだような声がする。嬉しそうに陽介には聞こえた。
「じゃあ一時間後に――ええっと、どこがいいかな」
 少し考える間が空いてから日向が言った。
「惣菜大学がいいか。それで平気か?」
「ああ、わかった」
 それから簡単なやり取りの後に日向との電話を終えた陽介は、フリップを開いたままの携帯をぼんやり見つめる。上がった心拍は、なかなか下がらなくて。電話でこれぐらい話すのなんて、今までたくさんあったのに。
「……ねーな。これはない」
 重症だ。陽介はぐらつく頭を抱えた。いくら何でも意識しすぎてる。
 赤くなった顔を手で半分覆い、ゆっくり首を振る。限界まで息を長く吐いて、頬を軽く叩いた。待ち合わせに遅れないよう、ここでぼんやりしている場合ではない。
 閉じた携帯を枕元に投げ、陽介はベッドから下りた。床に落とした布団を拾い上げ適当に畳み、眠気を追い出そうと顔を洗いに部屋を出る。


 いい天気だな。
 惣菜大学の店前に置かれた、ビールケースを逆さまにしただけの簡単な椅子に座り、陽介は空を見上げた。十一月の中旬辺りからずっと曇りが続いていたのが嘘のようだ。霧を産み出していたアメノサギリを倒してから、稲羽は今までの天気を取り戻そうとするように晴れが続いている。
 空が青いのは当たり前だ。だけど、あの先が見えない霧に囲まれつづけた後に見たあの青さはとても深く、目に焼きつきそうだった。
 商店街の通りを見ても、ガスマスクをつけてる人は誰もいない。しみじみと事件の終わりを感じつつ、陽介は朝食兼昼食のコロッケを口に運ぶ。
「にしても遅いな橿宮……」
 約束の時間を十分過ぎてしまっている。日向はいつも決められた時間より早く待ち合わせに来ているので、今回のようなことは初めてだ。遅いと怒るより何かあったのかと不安になる。
 コロッケも食べ終えてしまい、陽介はそわそわと道路の方へ目をやった。道行く人の中で日向の姿を探す。クリスマスが終わっても今度は年末が近づいているせいか、商店街も結構賑わっている。だが陽介はどんなに人がいようが日向を見つけられる自信があった。
「……お」
 急いで走ってくる人影を見つけ、陽介はほっとする。所在を知らせるように手を振ると、相手もまた惣菜大学にいる陽介に手を振り返してくれた。
「ごめん。誘っておいて俺が遅れちゃって」
 着くなり謝る日向に「こんぐらい全然へーきだって」と陽介は明るく笑う。
「寧ろちょっと得した気分って言うの? 急ぐお前の姿って何かレアじゃね?」
「別に珍しくないだろう……」
 日向は困ったように眉を寄せ、陽介の前に置かれている空っぽのパックを見た。
「あれ、食べてたんだ」
「朝もまだだったから先にな」
「奢ろうと思ったのに」
 呟きながら日向もコロッケを買って、陽介の真向かいに座った。いただきます、と手を合わせ食べ始める。
「また今度奢ってくれればいいって」
 フォローを入れつつ、陽介は気になっていることを聞いた。
「それよりもお前が何で遅くなったのが気になるな」
「……」
 コロッケを食べる日向の手が止まった。瞬いた目で陽介を見る視線がふと揺らぐ。
「……ちょっとだいだら.に」
「何で?」
 歯切れの悪い返答を受け、陽介は不審に眉を寄せた。もう脅威は取り払われたのだから、シャドウと戦う為の武器は今更いらない筈だ。
「素材。まだ残ってたからそれを売りに」
 取り繕うように日向が言葉を付け加えた。
 正直さっきの反応といい、隠し事されているような感じがする。だけどここで聞いたとしても、日向は口を割らないだろう。
「なら、いいけど」
 陽介が引き下がると、日向があからさまにほっとした。もし、しつこく食い下がってたら気まずくなっていただろうと考えれば、自分の判断は正しかったと陽介は思う。日向を困らせるのは、自分の本意ではない。
 陽介は頬杖をつき、食事に専念する日向を見つめる。
「惣菜大学の久しぶりに食べるからなんか懐かしいな」
 口の中の物を飲み込んで、日向が感慨深く呟く。
 まーな、と陽介が腕組みをして深々と頷いた。
「愛家もいいけど、たまにはこうやって外で食うのもいいよな。天気もいいから気持ちいいし」
「後でまた夕飯用に買おうかな……」
 頭の中で献立を考える日向に、陽介は苦笑した。もうすっかり主夫が身に染みている。
 ジュネスの惣菜も忘れないでくれよ。そう言いかけ、陽介は日向の右小指に目を止め、凝視した。
「あ」
「ん?」
「……それ」
 陽介は日向の右手を指差した。
 ああ、と目を細め、箸を置いた日向は右手の甲を掲げて見せる。
 そこに嵌められているのは、黄色いビーズの指輪。
「菜々子に貰ったんだ。クリスマスと誕生日プレゼントを兼ねて」
 手を戻し、日向は愛おしそうに指輪を撫でる。そして「似合う?」と尋ねられ、陽介はすぐに力強く頷いた。
「ああ、すっげー似合ってる」
 掛値なしの言葉で陽介は褒めた。やはりその指輪は日向の為にある。


 菜々子が誘拐された日、陽介は直斗から堂島家の玄関で拾ったビーズの指輪を預かっていた。それを誰にも見つからないよう隠していたが、霧が晴れて病態がかなり安定した頃を見計らい、日向に見つからないようこっそり菜々子へ返していた。
 菜々子は作った指輪を、誘拐のいざこざでなくしたと思ったらしい。壊れていても見つかったことに、菜々子は陽介に『ありがとう、陽介お兄ちゃん』と感謝してくれた。
『今からでもお兄ちゃんにあげたらどうかな』
 その時陽介は菜々子に提案した。目を丸くして『え?』と聞き返す菜々子に、陽介は材料のビーズが入った紙袋を手渡した。
『ほらもうすぐクリスマスだし。誕生日プレゼントも兼ねてさ。きっと菜々子ちゃんから貰えたらお兄ちゃんすっごく喜ぶと思うし』
『……うん』
 掌に乗せた壊れた指輪を見つめ、菜々子はこくりと頷く。
『菜々子もう一回作る。それでお兄ちゃんにありがとうとおめでとうってわたすね。だから陽介お兄ちゃん言っちゃダメだよ』
『うん。二人の内緒な』
 二人して立てた人差し指を口元に当て、あの時と同じ約束を交わした。
 菜々子から指輪を渡された時の日向の顔を、陽介は知らない。だが、とても嬉しく幸せに満ちた表情をしていただろう。――今見せている顔みたいに。
 本来渡せただろう誕生日が、あんなことになったのは残念だった。しかしようやく指輪が菜々子の願った元に届き、心からよかったと思う。日向の笑顔に胸が一杯になりそうだった。
「……」
 陽介はさっと辺りを見回した。惣菜大学のカウンターにはいつもの店員がいるし、すぐ側の道も人が行き来している。誰もこちらの話など聞こえないとは思うけど。
「橿宮これからどこ行くかとか決めてる?」
 尋ねる陽介に、食べる手を止めて日向が答えた。
「いや。会ってから二人で決めようと思ってたけど。――どこか行きたい場所がある?」
「ああ。あのさ」
 改まって居住まいを正し陽介は神妙な顔をして言った。
「お前を連れて来たい場所があるんだ。それ食べたら行かないか?」
「……うん、構わないけど」
 陽介につられて日向もまた神妙に頷き、食べる早さを上げた。


09/03/06

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