薄く開けた窓から、差し込む西日が眩しい。
日向は片目を眇め、開けていた窓を閉めた。ガラス越しの光は幾分和らぎ、止めていた調理の手を再び動かす。まな板に置いた包丁を握り直し、慣れた手つきでじゃがいもの皮をむいていく。
今日は、久々に堂島から早上がりで戻ってくると連絡があった。最近は午前様で帰ることが多い――恐らく、りせの失踪絡みで、だ――叔父は、あまりロクなものが食べられなかっただろう。育ち盛りの菜々子のことも考えれば、こういう時こそ、きちんとした食事を作らなければならない意欲にかられてしまう。
以前は一人分だけ作っていたから、人数が増えた分手間も時間もかかり大変だ。けれど、おいしいと言って笑ってくれる人を見ると、その大変さもなくなるから不思議だと思う。
「お兄ちゃん。まだ?」
ガスコンロの前で、煮立つ鍋をじっと眺めていた菜々子が、そわそわしながら日向に聞いてきた。
「ちょっと待って。見てみるから」
日向は包丁を置き、菜々子が見ている鍋の蓋を開ける。入れておいた水が沸騰しかけているのを見て「もうそろそろいいよ」と菜々子を見て頷く。
「お湯が跳ねないよう、気をつけて。熱いから」
「はーい」
返事をした菜々子は、あらかじめ日向が切ったおいた玉葱や油揚げを、ゆっくり鍋に入れていく。危なげな手つきだが、日向はあえて手を出さずに菜々子を優しく見守る。そして、ふと日向を見た菜々子も、手伝いが出来て嬉しいのかつられてはにかんだ。
「入れ終ったら、玉葱が透明になるまでまた見てて」
そう次はどうやるか菜々子に教えた後、また日向が包丁を握りかけた時、玄関のインターホンが鳴った。
「おきゃくさん?」
具をいれ終えまた鍋をじっと見ていた菜々子が、玄関の方へ視線を移す。
「そうみたいだ」
菜々子は鍋を見てて、と日向は簡単に手を洗い、玄関に向かった。
こんな時間に来訪者なんて珍しい。宅急便か何かだろうか。そう思いながら玄関をあけると、すぐ目の前に思い掛けない人物が立っていた。
「……クマ?」
「……」
驚いた日向に呼ばれ、手が白くなるほどズボンの生地を強く握りしめていたクマは、肩を震わせながら顔を上げた。唇を噛み締め、眼から涙が今にも零れそうなほど溢れている。
「どうしたんだ、クマ」
尋常ではない様子に、日向はクマの目線に視線を合わせて尋ねる。その途端クマは堪えきれなくなったようだった。見る見るうちにその顔が悲しみに崩れ、柔らかな頬が涙で濡れる。
「セ、センセイィ……!」
泣き出したクマは日向に抱きつき、ごめんなさい、と繰り返し言った。
「ヨースケにばれちゃった。あの時のこと、秘密にしてるって」
「……クマ」
「センセイに絶対言っちゃダメだって約束してたのに……!」
「クマは何も悪くないよ」
ごめんなさい、と泣きじゃくるクマに、日向は優しく言った。「……でも」と洟を啜りながら見上げるクマの頭を撫で、怒っていないと示すように柔らかく微笑む。
「これはいつかはバレることだったんだ」
こんなに早くとは思わなかったけど。そう口の中で付け加え、日向は重ねて尋ねる。
「ゆっくりでいい、どうしてそうなったのか教えて?」
「う、うん……」
クマはしゃくりあげながらも、辿々しく陽介に問いつめられた時のことを日向に話した。
今日学校に行くまでは普段と変わりなかった陽介が、クマが花村家に帰ってきた時まるで様子が違っていたこと。いきなり厳しく問いつめてきた陽介は“あの時”のことに触れた。それは自分と日向しか知らないことなのに、陽介ははっきり“あの時”のことを口に出した。
「……もしかしたら、何かの弾みで影が出てきた……?」
クマの話を聞いて、考え込んだ日向はそうぽつりと言った。ならば、今日クマを陽介の元に帰してはいけない。
「クマ、今日はうちに泊まれ」
「え、でも……」
唐突な日向の言葉に、クマが戸惑う。
「迷惑とか考えるな。クマが怒られないように連絡とかは俺がするから」
日向は、そう言って中に入るようクマの手を引いて促した。そして玄関に座らせ、まだ涙が止まらないクマの代わりに靴を脱がせる。
「お兄ちゃん……」
泣き声を聞き付けたのか、菜々子が廊下から心配そうに顔を出していた。いつもは明るいクマの泣いている姿に、菜々子の表情が悲しく曇る。
「菜々子、クマと一緒にいてあげて」
日向は菜々子にそう言って、手招きした。小走りでクマに近づいた菜々子は、心配そうに目元を擦る様子にその手をそっと握りしめる。
「クマさんどうしたの? かなしいことでもあったの?」
「ナナチャン……」
「菜々子がいっしょにいるよ。だからあっちに行こう?」
労るような口調にやっと落ち着いたのかクマは「……うん」と大人しく頷いた。のろのろと立ち上がり、二人は手を繋いで奥へ行く。
「……ごめんな、クマ」
心細そうな背中を見送り、日向は瞼を伏せて呟いた。
完全に落ち度はこっちにある。もしかしたら何かの拍子で、陽介が思い出す可能性があったことも視野に入れておくべきだった。その場合、クマが今日みたいなことになると分かっていたのに。
自分の至らなさに、日向は溜め息をつく。
「……でも後もう少しで分かりそうな気がするんだ」
日向は開けっ放しの玄関を閉めて、脱いだままになっていたクマの靴を揃えようと屈んだ。それは急いでやってきたせいか踵が潰れていて、どんな気持ちでここまでやってきたんだろう、と思うと胸に小さな痛みが刺す。
泣かしてしまったクマのためにも。そして今ごろ悩んでいるだろう陽介の為にも。
「……早く、見つけないと」
学校をサボった陽介は、やってきた高台の東屋で時間を潰していた。誰も来ないのをいいことに長椅子に寝そべり、ぼんやり空を仰ぐ。
日向が鮫川を落ち着く場所だと思うなら、陽介にとってのそれはこの高台だった。誰もいないこの場所にいると、何も聞こえなくて楽になる。ただ、時折寂しくなったりもしたけれど。
制服のポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認する。昼はとうに過ぎ、あと一時間もすれば今日の授業も終りそうだった。
どうするかな。陽介は起き上がり、柵の向こうに見える町を眺めた。
何も代わり映えしない稲羽は、今日も平和そうだ。こっちは次々と押し寄せる問題に頭が痛むばかりだけど。
結局昨日家を飛び出したクマは、戻ってこなかった。どうやら堂島家に厄介になっているらしい。仕事から戻ってきた母親がわざわざ日向から連絡があったと、家に帰った時に教えてくれた。
それを聞いた時陽介は逃げられた、と内心歯噛みした。クマが泊まるなら、わざわざ親の仕事場であるジュネスに電話する必要なんてない。家の電話か、陽介の携帯電話にかければ済む話だ。
つまり日向は、クマから事情を聞いて判断したんだろう。今自分に会ったら、問いつめられる、と。その機会を与えないようにしている。
これではっきりした。日向とクマは、自分が忘れている記憶がどんなものか、知っている。
しかしまだ、疑問は尽きない。
「なんでそこまで隠す必要があるんだ……?」
抑圧された自分の影の記憶は、千枝や完二らと同じようなものだろうと陽介は踏んでいる。それに、陽介も一度は自分が生み出した影と向き合い、不完全であっても受け入れているのだ。それなのに何故そこまで必死になって隠すのか。どうしてか理由をいくら考えても皆目見当がつかない。
もう、日向に直接聞くしかないんだろうか。
「……」
しばらく悩んだ後、陽介は意を決した。大丈夫だろう。影がぶちまけた本音以上に見られたくないものなんて、そうそうある訳ない。
陽介は携帯電話を取り出し、メールを打ち始める。大丈夫だ、そう自分に言い聞かせても、ボタンを打つその指は、緊張のせいか情けなく震えていた。
上昇したエレベーターは屋上で止まり、扉が開く。陽介は一度大きく息を吸い、フードコートに足を進めた。
真っ先に眼を向けた場所、いつも特捜本部として使っているところに日向の姿を見つける。その時、一瞬息が詰まったような苦しさを感じたが、陽介はそれを振り払うように歩き出す。
「橿宮」
陽介の呼ぶ声に、日向が振り向き軽く手を振った。まるで、いつもテレビに行く時の待ち合わせと変わらない様子に、どうしてこいつはそんなに冷静でいられるんだろう、と陽介は思う。こっちは緊張のせいでぎくしゃくしてしまっているのに。
分かっているんだろうか。自分が何を聞こうとするのか。
「悪かったな。急に呼び出して」
努めて冷静を保ちながら、陽介は日向の隣に座った。
「構わない」
日向が首を振る。無断休校したことに触れないのは、どうして休んだのか理由を察しているんだろうか。それきり、日向は黙ってしまった。
陽介は無意識に腕を組み、俯く。この様子だと、日向もまた呼び出された意味を分かっている。
聞くなら今だ。
そう思っているのに、言葉が出ない。酷く喉が乾いている感じがして、ジュースでも買っておけば良かったと、どうでもいいことを思った。
陽介はちらりと日向を見る。
日向は、陽介の視線から眼を反らさず、まっすぐ見返した。
陽介は顔を上げ、ゆっくり口を開く。
「橿宮。あの、さ――」
「ちょっと花村!」
陽介の言葉を遮るように、甲高い声がフードコートに響いた。
誰だよこんな時に。邪魔をされ顔を顰めた陽介が辺りを見回すと、以前勝手な理屈を押し付けた女子生徒二人が怒りも露にこちらへ近づいてくる。
「何でカズミは休めて、ウチらはダメなわけ?」
「……は?」
前に立つなり言い放った言葉に、陽介はぽかんとあいた口が塞がらなくなった。
「前にアンタに言ったじゃん! ウチら土日にバイト入れないって! だから断ったら、やっぱクビとか言われて! 超意味がわかんないんだけど!!」
ヒステリックな声が耳を劈き、頭が痛くなってくる。働く上で、そんな自分勝手な理屈が簡単に通る訳がないだろう。無駄だと分かっていても、一応こっちもチーフに伝えておいてはある。そこからは全く関わっていない。だから彼女らの勤務に対して判断するのはチーフであり、陽介もそこまで干渉出来る権限など持ち合わせていない。
陽介はそのことを伝え、さらに彼女らに尋ね返す。
「それよか先輩ら……、最近無断欠勤とかしてないすか?」
「あ、あれは……、たまたま忘れてて」
嘘つけ。陽介は内心腹立たしくなる。どうせ彼氏とやらのデートかなにかで、サボったんだろう。そんな無断欠勤や仕事を疎かにしている人間の理屈が、上に通る訳がない。
しかし彼女らは納得がいかないようだった。デートがあるのにどうしてくれるのよ、と角を立てたように怒り狂う様子を、陽介は冷たい眼差しで見つめる。
だが、次に出てきた名前を聞いた時、陽介は凍り付いた。
「知ってるんだから。アンタが早紀のことヒイキしてたって!」
「……え?」
なんで、そこで小西先輩の名前が出るんだ。狼狽する陽介に、憤ってた彼女らの顔が、勝ち誇ったように侮蔑の笑みで歪んだ。
「ゴマかしてもムダだからね! アンタが早紀のこと好きで、特別扱いしてたことぐらい!」
「……小西先輩のことは関係ないんじゃないですか?」
感情を抑えて陽介は言った。しかし彼女らの勢いは止まらず「あるに決まってんじゃん!!」と捲し立てる。
「どーせ、他の従業員にもヒイキさせるよう言ったんでしょ? 店長の息子だからって、何やってもいいワケ!?」
その言葉に、陽介はかっと燃えるような怒りがわいてくるのを感じた。そんなことやってない。どうして、店長の息子だからって、そんな風に言われなきゃならないんだ。
陽介はおろした手を握りしめる。力を緩めたら、心の中にたまってきたものをぶちまけそうだった。そんなことをしたら、どうなるか。
陽介が反論しないのをいいことに、彼女らの暴言は次第に早紀へと向けられていく。以前言っていた駆け落ちのことに合わせて早紀を侮辱するような言葉の数々に、陽介はとうとう繋ぎ止めていた糸が切れていくような衝動を覚える。
お前らに、アンタらに、あの人の何が。
その時だった。
「――小西先輩が、可哀想だ」
今まで黙ったまま、事態を見ていた日向が口を開いた。割って入った言葉に、陽介だけじゃなく女子生徒らの視線が日向に集中する。
「アンタらみたいな奴に、好き勝手言われて」
「橿宮……」
言葉を続ける日向を見て、陽介は息を飲んだ。日向の顔は無表情に近い真顔で、でも憤っているのが手に取るように分かる。
ひたりと厳しい目つきで彼女らを見据え、日向は淡々と言った。
「……あの人が花村をどう思っていたか、俺は知らない。もしかしたら、アンタの言う通り、ウザがってたかもしれない。でもあの人のお陰で今の花村がいるなら、俺は小西先輩に感謝したいし、先輩や花村を悪く言うアンタらを許せない」
「な、何言って……!」
反論しかけた金切り声を、ばあん、とテーブルを叩く音が止めた。拳をテーブルに叩き付けた日向が立ち上がり「黙れよ」と静かな、しかし反論を許さない口調で断ずる。
人をも殺せそうな険しい視線に「ひっ」と彼女らは震え上がり身体を引いた。
「俺からすれば、アンタらのがよっぽどウザいよ。自分のことを棚に上げておいて、他人に勝手な理屈を押し付けて。――最低だな」
「……な、何よアンタ、勝手にしゃしゃり出て……、バカじゃないの!?」
怯みながらも、顔を真っ赤にし矛先を日向に向けた彼女らを見て、とうとう陽介も我慢の限界が来た。自分だけならいい。どんなことを言われても、耐えてやる。しかし、日向や早紀を誰かに侮辱されることだけは、どうしても我慢できないし、許せなかった。
「橿宮のこと悪く言ってんじゃねーよ! つかうるっせえんだよ、お前らマジで!」
日向を庇うように間に立ち、陽介は怒鳴りつけた。まさか陽介が怒るとは思わなかったのか、彼女らの顔が青ざめていく。
「アンタらに小西先輩の何が分かんだよ! ……あの人はな、アンタらみたいな中途半端な気持ちで仕事してなかったよ!」
商店街を潰すジュネスで働くことは、早紀にとって周りのやっかみを買ってしまうのと同じだった。事実、どれだけ周りから陰口を叩かれていたか、陽介はテレビに放り込まれた早紀が生み出した場所で聞いている。
それでも早紀は適当に見えても、真面目に働いていた。口は悪かったけど、優しくしてくれた。
俺はよく知ってる。少なくとも目の前の二人よりはずっと。
だって、ずっと、見てきた。
「あの人は俺が嫌い? 知ってんだよそんなの! もういねーんだよ! 置いていかれてんだよ!」
だけどもう、早紀はこの世にはいない人で。自分は、永遠に置いていかれて。何処に行っても、もう会えない。
分かっている。
だから。
「……ほっとけよ」
肩で息をするように怒鳴っていた陽介は、はあ、と息を吐いて俯くとそう呟いた。もう、頭の中がごちゃごちゃしていて、うまく気持ちが抑えられない。
「な、何よ急に……」
陽介の勢いに飲まれ、怯んでいた彼女らは毒気を抜かれたように顔を見合わせた。そしてどちらかともなく「……行こ」と言って、そそくさと逃げていく。
やっちまった。遠ざかる彼女らの背中を見つめ、陽介は自分の愚かさに握っていた手を震わせた。自分の立場を考えると、やってはいけないことだったんだろうに。
でも、我慢できなかった。
「……お前も、かなしかった?」
唐突に後ろから言われ、陽介は振り返った。日向が真直ぐな眼差しで、陽介を見つめている。
「好きな人を悪く言われて。ジュネスの店長の息子だからって、悪く言われて」
「ち、違う。そんなんじゃ……」
陽介は慌てて首を振って否定するが、「俺は、悲しいよ」と日向に言われ、眼を瞬いた。
「花村悪くないのに、陰口叩かれているのを聞くと。俺は……悲しくなる」
そして日向は「花村」と陽介に一歩近づいて言った。
「頑張ってまで我慢する必要はないんだ。だってお前はお前だろう? もっと自分の感情を出していいんだ。少なくとも、俺は、そっちの方がいい」
普段より饒舌に語る日向の声は、とても真剣に聞こえた。だが一旦言葉を切り、日向はすまなそうに「悪かった」と謝る。
「花村耐えてたのに、怒鳴ったりして。でも、イヤだったんだ、俺。これ以上花村が悪く言われるのが」
そう言った日向に、今度こそ陽介は「そんなことない」とはっきり否定した。
「こっちこそ悪かった。イヤな思いさせて。それと……嬉しかった、さっきあの人らに言ってくれたこと」
心からの言葉を告げ、陽介は日向に背中を向けた。もう今日は、本来の目的を果たせる状況ではない。このままだとさっきの二人はもう仕事に来ないだろう。いやだけど、父親にそのことを報告しなければ。
そのことを言うと「わかった」と日向は頷いた。もうさっきまでの憤りは感じらず、いつもの日向に戻っている。
「……ごめん。こっちから呼び出しておいて悪かった」
「いいよ」
日向が言った。
「俺も、見つけたから」
あの二人の身勝手さは、店長である父親にまで伝わっていたらしい。二人が辞めるだろうと言う突然の報告を、父親は黙って聞いていた。
辞める決定打になった原因である陽介は、叱られる覚悟で来たが、実際お咎めはなかった。それどころか「苦労をかけて悪かった」と逆に父親から謝られ、陽介は言葉に窮したまま、ジュネスを後にした。
何がしたいんだろう俺。
帰り道をのろのろ歩きながら陽介は思う。胸にもやもやとしたものが蟠って気分が悪い。
自分が仕出かしたのに、こうして誰かに守られているようで、もどかしく居心地のなさを感じる。
ペルソナを手に入れた時は、そんなこと思わなかった。先輩を殺した犯人を見つける為。そしてこれ以上被害を出させない為に、やってきた。
だってこれは、ペルソナを持つ特別な人間にしかやれないことだから。
そう思って。
『――そうやって“特別”に酔っている間、お前は知らずにいるんだ』
影の声が蘇る。
『……あの時の、そして今のお前が、どれだけ“アイツ”に守られている状態だってことを』
だってそうだろ。
お前は。
「……」
陽介は不意に立ち止まった。震える手で口を押さえ、叫び出したい衝動を堪える。
「あ……」
震えが止まらない。陽介はその場にしゃがみ込んで、抱えた頭を掻きむしった。
なんで。なんでこんな。
「……こんなタイミングで思い出させるんだよ……!」
ムカつく。
思い出した。思い出さされた。
やっぱり俺はなんにも変わっちゃいなかったんだ。
あの時から、なんにも。
「ちくしょう……」
膝に顔を埋めた陽介は、声を絞り出すように言った。じわりと瞼の裏が熱くなり、その眼から落ちた涙がズボンの生地を濡らした。