ぼくたちの庭で



 二ヶ月は駆け回った成果か、すっかり庭みたいになってしまった新宿の街を、おれは急ぎ足で目的地を目指していた。もっと早く出るつもりが、白や鈴たちに捕まって抜け出すのに苦労してしまった。鍵さんはおれが急ぐ理由わかってるくせに遠くで笑ってるだけだし。零がさりげなく助け舟を出してくれなかったら、おれはまだ鴉羽神社で立ち往生してただろう。零にはお土産に焼きそばパン買ってこないと。
 人の往来が激しい道を、おれはぶつからないよう気をつけながらも急ぐ。そんなに時間にうるさい奴じゃないから怒ってないと思うけど。やっぱり待たせるのは心苦しい。
 ようやく見えてきた新宿駅西口。おれは待ち人の姿を見つけた。それが何だかとても嬉しくって、じんとおれの心を震わせる。足が自然と速くなった。
「壇!」
「――おっと」
 スピードが着きすぎて正面衝突しそうになったおれの身体を待ち人――壇燈治が受け止めてくれた。身長はあんまり変わらないけど、体重や筋肉の着き具合はあっちのが断然よくて。だからおれを受け止めた壇の身体はよろめきすらしない。ちょっと悔しい。
「……ったく。お前はもうちょっと落ち着け」
 苦笑しながら壇は凭れ気味になっていたおれをしっかり地面に立たせてくれた。
「いや、だってこうして二人で過ごすの久しぶりだから嬉しかったんです」
「そうだよなぁ。ずっと封札師の仕事が忙しかったんだろ」
「そう。何かおれに仕事を依頼してくることが多くって休む暇もないから慌ただしすぎて」
 意志ある英智――と言うのは嫌いだ。もう白も零もひとと同じようなものだから――である花札の番人を従え超存在の三乗ノ王すら屠った。呪言花札の一件で、おれの名声はそんな感じで一気に広がりすぎてしまっていた。お陰で忙しさが常に付き纏い、引く手数多の状態。だけど今日だけは、と無理矢理休みをもぎ取った。
 今日だけは絶対休みが欲しかったから。
「ああ、そのせいか」
 壇がおれの目元を指先でなぞった。
「ちゃんと休んでないから隈が出来てる」
「ま、まぁそこそこ休んでるから平気だけど……」
 言葉を濁す。ちょっとまだばれる訳にはいかないので、おれはにっこり笑って見せた。
「そ、それよりも待たせてごめん。おれも時間通りに来たかったんだけど、白をごまかすのが難しくって」
「……」
 ふっと、壇の口元が綻んだ。仕方ねえなあそういうことにしておいてやるかって言ってそうな笑みにどきどきする。くそう、前はおれの言動に一々驚いたりドン引きするような奴だったのに、今では余裕すら身につけおって。誰がこんな風にしたんだ。おれか。
 まだ目元に触れたままの指先の冷たさも合わせて、余計にどきどきするおれは、頬の熱さを認識する。絶対今顔真っ赤だよ。
「だっ、だけど壇も結構待ったんじゃないですか? 着いたら連絡するつもりだったしもうちょっとゆっくりしてても。……あ、もしかしておれと久しぶりに会うから張り切っちゃったとかそんなだったり?」
 ついつい軽口を叩くおれに、壇は手を戻してから言った。
「――ああ、そうかもしんねえ」
「……」
「千馗から連絡貰った時柄にもなく嬉しくなった。そのせいか、今日いつもより早く起きたしな。でもこういうのも悪くないよな。俺のために急いで走ってくるお前も見れたし」
「……あ、そ、そうですか」
 うう、なんでおれのがうろたえてるんだろう。おれは恥ずかしさから壇の顔をまともに見れない。
 おれの言動にすっかり耐性がついた壇は、逆にこっちを翻弄させることをする。無意識でおれは綺麗だの優しいだの言う零もだけど、さらに質が悪いのは確信犯で言っている壇だと思う。くそう、誰だこんな厄介な奴にしたのは。おれか。
「さて、こっからどうする? 久しぶりの休みなんだし、お前の好きなところからでもいいぜ? いつもんところか?」
「……おれは後でいいですよ」
 それじゃ意味がない。おれは壇を軽く睨んだ。
「今日はこれからカルさんとこ行ってカレー食べて、それから壇の行きたいところ行って、でドッグタグ行っておれはフレンチトースト、壇はカレー食べて」
「結局お前が決めてるのな」
「…………」
 笑いを堪えて言う壇の背中をおれは無言で叩いた。だけど壇は「まあそれで行くか」と余裕綽々で歩き出す。くそう。悔しい。悔し過ぎる。
 でも、そんな壇に振り回されるのも悪くない、とか思っているおれは重症だ。
 待ってって、と後を追うおれを振り向き壇が言った。
「そういや千馗。今日お前何時までに帰れとかあんのか?」
「いや、ないけど」
 そっか、と立ち止まって壇が笑う。嫌な予感がするのは気のせいだろうか。いやいやまさか。
「俺、一人暮らし始めたからよ。時間があるなら後で部屋来るか?」
 それは来るか? じゃなくて来いよ、的なニュアンスですよね。この男はどこまで進化していくつもりなんだろう。
 でも、まあ、うん。予想はつくけど。今日中に帰れなさそうだけど。
 そこで嬉しいと思っちゃうおれは、本当に重症だ。
 頷くおれに壇が笑う。行こうぜと歩き出す姿に、おれは今日忘れちゃいけない言葉を贈る。
「壇」
「ん?」
「た……誕生日おめでとう!」
 少し噛んでしまった祝いの言葉。
 それでも壇はしっかりおれの気持ちを受け止めて照れ臭そうに「ありがとな」と笑ってくれた。